パーティーでいちばん大事なもの?
2018/10/01 14:52
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夏が終わり少しずつ秋がやって来るきがします。ここバークレーでもインディアンサマーが終わって、だんだん日が短くなってきて夕方も肌寒い感じがしてきました。いろんな行事で忙しかったり、友達が病気になって大変だったり、米大統領の事欠かない話題でマスコミは大騒ぎしてたり、太郎の中学校の近くで銃撃事件があったり、All Together Now(主人がサポートする知的障害を持った方とのミュージックグループ)がイベントに出演してと話題豊富な9月も今日で終わりました。
9月最後の今日は夕方に近所のブロック・パーティーというのがありました。道の1ブロックを閉鎖して歩行者天国にしてパーティーをするという意味でこう呼ぶのでしょうか?私は主人と何を持っていこうかと思案して、太郎が中学校で習ってきたメキシコ料理のトマティーヨのサルサとチップス、その他に蒸したアーティーチョークに味噌マヨネーズ添え、そしてデザートのピーチクリスプを持っていきました。
このブロック・パーティーは毎年、9月にありますが、近所に人たちとのコミュニケーションの場であったり、普段は知り合えない近所の人たちとの交流に役立ちます。そして防災のときにみんなが顔見知りで助け合いがスムーズに行くようにという意図もあるようです。毎年消防車がきて防災のアドバイスをしてくれます。
今年は3ブロックのやや離れたご近所さんたちにまで広がったパーティーでいつもよりも沢山の人達が来ていてびっくりでした。どうしてそうなったのかな?と考えると、思い当たるのは学校が終わってから近所の子供達が年令に関係なく外で遊び始めそして、それが広がって違うブロックや通りの子どもたちも巻き込んで大勢で遊び始めて、このあたりで子供の声が近所中に響き渡るようになってきたからかなと思ったのです。その子どもたちの親がまた知り合いになって近所付き合いはどんどん広がっていったのかもしれません。
うちの息子はその中でも一番年上ですが、2,3歳それよりも年下の子どもたちが毎日誰かうちの家のベルを鳴らして遊びに来ます。私はふと、自分が小さいときもこんな感じだったなぁーと懐かしくなります。そして子どもたちがのびのび外で遊べる環境に感謝するばかりです。近所の大人たちも温かい目で子どもたちの成長を見守ってくれている感じがします。
パーティーに来ている人たちを見るといろんな人種の方が混ざっていてそれがとっても私にはうれしいことなんですね。悲しいことに人種差別はこの国ではとても嫌われている割にはそういうことがよく起こりますから。インド人とドイツ人のご夫婦、ベトナム人とアメリカ人のご夫婦、ドイツ人、日系人、スラブ系、アフリカン・アメリカン(黒人)コケイジョ
ン(白人)アジア人それがみんな仲良く大勢で喋っていろんな料理を食べながら楽しんでるわけです。日々の暗いニュースを見たり聞いたりして悲しくなりますが今日はいろんな人種の中にいる自分がとても幸せだったんです。これぞわたしのすきなアメリカなんだなと思いました。
周りも暗くなってパーティーも終わり、家に帰ってきて息子の太郎が喋りました。「マミー今日はすごく楽しいパーティーだったね!」声がまだ弾んでいます。「ねぇ、ねぇオーエンのお父さんとお母さんに会った?」あったわよと返事すると、「すごくいい人でしょ?あってほしかったの!しゃべった?」新しい年下のお友達はハーフベトナム人と聞いて、息子の太郎は自分もハーフ・ジャパニーズだといったそうで、それで二人は半分アジア人で意気投合したらしいです。子供の時から自分の人種というものを意識するんですね。
太郎は最後にとてもいいことを言ってくれました。「僕ね、今日思ったんだけど、パーティーってね、何が大事かって、それは料理でもない、場所でもない、人なんだよね!マミー!人が一番大事なんだよね!人がいっぱい来ておしゃべりしたり友だちと遊んだりするから楽しいんだよね!」私も同感です。本当にそうだなと思いました。太郎がそう言うふうに感じてくれたことが私にはとても嬉しかったんですねー。
9月最後の今日は夕方に近所のブロック・パーティーというのがありました。道の1ブロックを閉鎖して歩行者天国にしてパーティーをするという意味でこう呼ぶのでしょうか?私は主人と何を持っていこうかと思案して、太郎が中学校で習ってきたメキシコ料理のトマティーヨのサルサとチップス、その他に蒸したアーティーチョークに味噌マヨネーズ添え、そしてデザートのピーチクリスプを持っていきました。
このブロック・パーティーは毎年、9月にありますが、近所に人たちとのコミュニケーションの場であったり、普段は知り合えない近所の人たちとの交流に役立ちます。そして防災のときにみんなが顔見知りで助け合いがスムーズに行くようにという意図もあるようです。毎年消防車がきて防災のアドバイスをしてくれます。
今年は3ブロックのやや離れたご近所さんたちにまで広がったパーティーでいつもよりも沢山の人達が来ていてびっくりでした。どうしてそうなったのかな?と考えると、思い当たるのは学校が終わってから近所の子供達が年令に関係なく外で遊び始めそして、それが広がって違うブロックや通りの子どもたちも巻き込んで大勢で遊び始めて、このあたりで子供の声が近所中に響き渡るようになってきたからかなと思ったのです。その子どもたちの親がまた知り合いになって近所付き合いはどんどん広がっていったのかもしれません。
うちの息子はその中でも一番年上ですが、2,3歳それよりも年下の子どもたちが毎日誰かうちの家のベルを鳴らして遊びに来ます。私はふと、自分が小さいときもこんな感じだったなぁーと懐かしくなります。そして子どもたちがのびのび外で遊べる環境に感謝するばかりです。近所の大人たちも温かい目で子どもたちの成長を見守ってくれている感じがします。
パーティーに来ている人たちを見るといろんな人種の方が混ざっていてそれがとっても私にはうれしいことなんですね。悲しいことに人種差別はこの国ではとても嫌われている割にはそういうことがよく起こりますから。インド人とドイツ人のご夫婦、ベトナム人とアメリカ人のご夫婦、ドイツ人、日系人、スラブ系、アフリカン・アメリカン(黒人)コケイジョ
ン(白人)アジア人それがみんな仲良く大勢で喋っていろんな料理を食べながら楽しんでるわけです。日々の暗いニュースを見たり聞いたりして悲しくなりますが今日はいろんな人種の中にいる自分がとても幸せだったんです。これぞわたしのすきなアメリカなんだなと思いました。
周りも暗くなってパーティーも終わり、家に帰ってきて息子の太郎が喋りました。「マミー今日はすごく楽しいパーティーだったね!」声がまだ弾んでいます。「ねぇ、ねぇオーエンのお父さんとお母さんに会った?」あったわよと返事すると、「すごくいい人でしょ?あってほしかったの!しゃべった?」新しい年下のお友達はハーフベトナム人と聞いて、息子の太郎は自分もハーフ・ジャパニーズだといったそうで、それで二人は半分アジア人で意気投合したらしいです。子供の時から自分の人種というものを意識するんですね。
太郎は最後にとてもいいことを言ってくれました。「僕ね、今日思ったんだけど、パーティーってね、何が大事かって、それは料理でもない、場所でもない、人なんだよね!マミー!人が一番大事なんだよね!人がいっぱい来ておしゃべりしたり友だちと遊んだりするから楽しいんだよね!」私も同感です。本当にそうだなと思いました。太郎がそう言うふうに感じてくれたことが私にはとても嬉しかったんですねー。
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かっこちゃんin Berkeley!
2018/05/17 15:10
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一昨年の12月に実家の売買契約のため、急に私は一人で日本に行くことになった。その時に金沢に行く予定を立ててかっこちゃんに会い、初めて宮ぷーにも会いに行ったのだった。ちょうどその時かっこちゃんはトトロハウスのリノベーションで大忙し。私はトトロハウスにお邪魔してかっこちゃんのツナギ姿で釘を打ったり木を切ったりしている姿を見て驚いた。それが今度はモナの森の素敵なリノベーションにつながっているんだなー。
その日の最後にかっこちゃんにホテルまで車で送迎してもらった時、別れを惜しんでかっこちゃんが言ってくれた言葉。「今度は私がゆかりちゃんのところに行くからね!思えばなんだってできるのよ!」それから1年半でかっこちゃんは本当にバークレーに来てくれた。
今回のかっこちゃんのアメリカ旅行は昨年のニューヨークでの講演会が好評でロサンゼルスでも講演会をやろうということになり、それならサンフランシスコでもやりましょうとお話がトントンと決まったそうである。サンフランシスコの主催者のマコさんから話を聞いたときに『本当に!!!』と何度も思った私でした。
それからかっこちゃんが来るなら是非、私達がサポートしている知的障害者の音楽グループの練習をかっこちゃんにみてもらえないかなぁーと思って、かっこちゃんに問い合わせてみたのだった。そしたら電話がかかってきて私はびっくり!ラインの無料電話だけど、日本は夜中3時頃のはず、かっこちゃんまた寝てない!?私は思った。出るべきか、でないべきか、やっぱり電話にでた! そしてかっこちゃんが「ゆかりちゃんのお家に泊まっていい?』なんて言ってくれるので『いいよ~』と喜んで答えてしまった。主催者抜きで勝手に決めてしまったのだけど、サンフランシスコのホテルはべらぼうに高いのでマコさんからも了解がでて一安心。わ~い!かっこちゃんとアルバさんがうちに泊まりにくるよー!!!と主人、マイケルに言って、大掃除の予定を立てたがなかなか進まない。。。重い腰を上げてやっと片付いたのは御一行様がつく前日。とにかく間に合ってよかった。
かっこちゃんとアルバさんの他になんと!俳優の串間保さんと主催者のマコさんもうちに泊まることに。うちは90年以上経つおんばろ屋敷だけど、日本から来られた方には珍しい建物らしく、色々褒めていただきうれしかったです。私の父や息子の太郎も思いがけない日本のお客さんに少し緊張していたようでしたがとても楽しく皆さんと時間を過ごしたようでした。
かっこちゃんご一行様は5月9日水曜日にサンフランシスコ入して市内観光のあと、バークレーの我が家にて夕食。近所のともこさんも娘さんと来てくれてワイワイ楽しいひと時でした。10日木曜日はスタンフォード(有名なスタンフォード大学があります)で四分の一の奇跡の映画上映会とかっこちゃんの講演会。講演会では次々と特別支援学校の先生時代の子どもたちのエピソードを語るかっこちゃんにみんな引き込まれるようにお話を聞き入っていました。私も、もう何度もきいいたはずのお話に目頭が熱くなるのでした。かっこちゃんのお話のあとに串間さんが愛の賛歌を熱唱してくださいました。アカペラです。本当に素敵でした!!!11日金曜日はサンフランシスコのウーマンズビルディングで宇宙の約束と僕の後ろに道はできるの2本の映画上映会でした。そして12日土曜日かっこちゃん祭りの最後の日はかっこちゃん監督の銀河の雫の上映会と講演会でした。そして、なんと私達が率いる知的障害者の音楽グループAll Together Nowの演奏もかっこちゃんの講演会の前に出演させていただくことになったのです!!!
はじめは練習を見ていただこうと思ったのですが、いつも練習は日曜日で、スケジュールが合わない。それなら本番で演奏させてもらえないかと私は言ってみたんです。かっこちゃんとマコさんに了解をもらって主人はシアトルのギターフェスティバルに行く予定をキャンセルして4月から音楽グループの練習が始まりました。なんだか、本番が迫ってくるとみんなやる気になってきて今までよりも積極的に歌ったり踊ったりできるようになってきました。マイケルは初めは音楽の機材も少なくてギターとキーボード1台で簡単にしようとしてましたがお客さんにみんなの演奏を聞いてほしくなってキーボード3台、マイクも7本と増やす勢いでした。
さてさて~当日12日グループのメンバーはどうだったかというと、やっぱりいつもと違う場所なので子どもたちのご両親は色々苦労されたようでした。まず、行きたくないといったり、スケジュール通りにサンフランシスコまで連れてくるのが大変だったので時間よりも1時間早く来られたり、スペシャルオリンピック(障害者のためのオリンピックイベント)に行ってからその続きで来られる方もいたし、会場のロビーについた途端にパニックになる女の子もいて、どうやって落ち着かせたらいいかと戸惑いながら不安な気持ちやこれから起こることへのスリルでみんなワクワクして出番を迎えました。
年、1,2回は教会などに呼ばれて演奏しますがいつも障害者関係のイベントなので観客も知り合いが多くあまり緊張しないのですが、今回は全く違う一般の方たちにパフォーマンスを見せるということでかなり緊張していました。マイケルは準備が間に合わなくてイライラしてるし、私もみなさんがこの音楽グループをどう観てくださるか若干不安もありました。でもかっこちゃんは必ず喜んでくれるとわかっているので私たちは勇気が出ました。
いつもの調子で演奏、歌を終えたあとに拍手を頂いて、あとで何人かの方に素晴らしかったと言っていただき本当に嬉しく思いました。私達の楽しく音楽活動をやっいるという一番大事なことが伝わったようで安心しました。障害があるとかないとかの境目がなくなるように音楽を楽しんでやる。楽しみ方は自由!歌ってっもいい!踊ってもいい!!さけんでもいい!!飛び跳ねてもいい!!そしてあなたも一緒にやりませんか? いつもそういうことが伝わればいいなと思っています。
演奏が終わってから2人の方から今度行われるイベントで出演しえもらえるかと問い合わせがきました。私たちはびっくりです。だって、音楽の完成度は低く、ただ楽しんでやっているだけなのです。そのイベント出演が決まろうが決まらないであろうが、今までと違う社会に一歩でたような感じがしました。知的障害のある子どもたちも12年たち、子どもたちと呼べない年齢になりました。音楽グループももう少し大人っぽくしたいなと思っています。それにはやはり個人の成長も必要です。それをかっこちゃんに相談したら音楽に合わせて自分のパートを決めて音や声を出させるやり方を教えていただきました。これは良い訓練になると思い次回から取り入れようと思います。そして最近すごく歌がうまくなってきたアーサーくんにはソロを歌わせて、その他の子どもたちと親でコーラスみたいにしたら良いのでは?なんて新しいアイディアも主人と出して今後の活動も楽しくなります。今回、本当にかっこちゃんの講演会に出させていただいてよかった!!!本当に感謝しています。今度はもう少し音楽的に良くなったものを皆さんに聞いていただけるようにAll Together Nowは頑張りまーす!!!
その日の最後にかっこちゃんにホテルまで車で送迎してもらった時、別れを惜しんでかっこちゃんが言ってくれた言葉。「今度は私がゆかりちゃんのところに行くからね!思えばなんだってできるのよ!」それから1年半でかっこちゃんは本当にバークレーに来てくれた。
今回のかっこちゃんのアメリカ旅行は昨年のニューヨークでの講演会が好評でロサンゼルスでも講演会をやろうということになり、それならサンフランシスコでもやりましょうとお話がトントンと決まったそうである。サンフランシスコの主催者のマコさんから話を聞いたときに『本当に!!!』と何度も思った私でした。
それからかっこちゃんが来るなら是非、私達がサポートしている知的障害者の音楽グループの練習をかっこちゃんにみてもらえないかなぁーと思って、かっこちゃんに問い合わせてみたのだった。そしたら電話がかかってきて私はびっくり!ラインの無料電話だけど、日本は夜中3時頃のはず、かっこちゃんまた寝てない!?私は思った。出るべきか、でないべきか、やっぱり電話にでた! そしてかっこちゃんが「ゆかりちゃんのお家に泊まっていい?』なんて言ってくれるので『いいよ~』と喜んで答えてしまった。主催者抜きで勝手に決めてしまったのだけど、サンフランシスコのホテルはべらぼうに高いのでマコさんからも了解がでて一安心。わ~い!かっこちゃんとアルバさんがうちに泊まりにくるよー!!!と主人、マイケルに言って、大掃除の予定を立てたがなかなか進まない。。。重い腰を上げてやっと片付いたのは御一行様がつく前日。とにかく間に合ってよかった。
かっこちゃんとアルバさんの他になんと!俳優の串間保さんと主催者のマコさんもうちに泊まることに。うちは90年以上経つおんばろ屋敷だけど、日本から来られた方には珍しい建物らしく、色々褒めていただきうれしかったです。私の父や息子の太郎も思いがけない日本のお客さんに少し緊張していたようでしたがとても楽しく皆さんと時間を過ごしたようでした。
かっこちゃんご一行様は5月9日水曜日にサンフランシスコ入して市内観光のあと、バークレーの我が家にて夕食。近所のともこさんも娘さんと来てくれてワイワイ楽しいひと時でした。10日木曜日はスタンフォード(有名なスタンフォード大学があります)で四分の一の奇跡の映画上映会とかっこちゃんの講演会。講演会では次々と特別支援学校の先生時代の子どもたちのエピソードを語るかっこちゃんにみんな引き込まれるようにお話を聞き入っていました。私も、もう何度もきいいたはずのお話に目頭が熱くなるのでした。かっこちゃんのお話のあとに串間さんが愛の賛歌を熱唱してくださいました。アカペラです。本当に素敵でした!!!11日金曜日はサンフランシスコのウーマンズビルディングで宇宙の約束と僕の後ろに道はできるの2本の映画上映会でした。そして12日土曜日かっこちゃん祭りの最後の日はかっこちゃん監督の銀河の雫の上映会と講演会でした。そして、なんと私達が率いる知的障害者の音楽グループAll Together Nowの演奏もかっこちゃんの講演会の前に出演させていただくことになったのです!!!
はじめは練習を見ていただこうと思ったのですが、いつも練習は日曜日で、スケジュールが合わない。それなら本番で演奏させてもらえないかと私は言ってみたんです。かっこちゃんとマコさんに了解をもらって主人はシアトルのギターフェスティバルに行く予定をキャンセルして4月から音楽グループの練習が始まりました。なんだか、本番が迫ってくるとみんなやる気になってきて今までよりも積極的に歌ったり踊ったりできるようになってきました。マイケルは初めは音楽の機材も少なくてギターとキーボード1台で簡単にしようとしてましたがお客さんにみんなの演奏を聞いてほしくなってキーボード3台、マイクも7本と増やす勢いでした。
さてさて~当日12日グループのメンバーはどうだったかというと、やっぱりいつもと違う場所なので子どもたちのご両親は色々苦労されたようでした。まず、行きたくないといったり、スケジュール通りにサンフランシスコまで連れてくるのが大変だったので時間よりも1時間早く来られたり、スペシャルオリンピック(障害者のためのオリンピックイベント)に行ってからその続きで来られる方もいたし、会場のロビーについた途端にパニックになる女の子もいて、どうやって落ち着かせたらいいかと戸惑いながら不安な気持ちやこれから起こることへのスリルでみんなワクワクして出番を迎えました。
年、1,2回は教会などに呼ばれて演奏しますがいつも障害者関係のイベントなので観客も知り合いが多くあまり緊張しないのですが、今回は全く違う一般の方たちにパフォーマンスを見せるということでかなり緊張していました。マイケルは準備が間に合わなくてイライラしてるし、私もみなさんがこの音楽グループをどう観てくださるか若干不安もありました。でもかっこちゃんは必ず喜んでくれるとわかっているので私たちは勇気が出ました。
いつもの調子で演奏、歌を終えたあとに拍手を頂いて、あとで何人かの方に素晴らしかったと言っていただき本当に嬉しく思いました。私達の楽しく音楽活動をやっいるという一番大事なことが伝わったようで安心しました。障害があるとかないとかの境目がなくなるように音楽を楽しんでやる。楽しみ方は自由!歌ってっもいい!踊ってもいい!!さけんでもいい!!飛び跳ねてもいい!!そしてあなたも一緒にやりませんか? いつもそういうことが伝わればいいなと思っています。
演奏が終わってから2人の方から今度行われるイベントで出演しえもらえるかと問い合わせがきました。私たちはびっくりです。だって、音楽の完成度は低く、ただ楽しんでやっているだけなのです。そのイベント出演が決まろうが決まらないであろうが、今までと違う社会に一歩でたような感じがしました。知的障害のある子どもたちも12年たち、子どもたちと呼べない年齢になりました。音楽グループももう少し大人っぽくしたいなと思っています。それにはやはり個人の成長も必要です。それをかっこちゃんに相談したら音楽に合わせて自分のパートを決めて音や声を出させるやり方を教えていただきました。これは良い訓練になると思い次回から取り入れようと思います。そして最近すごく歌がうまくなってきたアーサーくんにはソロを歌わせて、その他の子どもたちと親でコーラスみたいにしたら良いのでは?なんて新しいアイディアも主人と出して今後の活動も楽しくなります。今回、本当にかっこちゃんの講演会に出させていただいてよかった!!!本当に感謝しています。今度はもう少し音楽的に良くなったものを皆さんに聞いていただけるようにAll Together Nowは頑張りまーす!!!
お盆
2017/07/12 12:38
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もう7月、日本に比べて少し早いと思うけど、バークレー東本願寺で前の日曜日にお盆の行事があった。
日本にいるときには大阪に住んでいて、夏真っ盛りの暑いお盆の季節になるともっと暑い京都の東本願寺のお墓にご先祖の墓参りに行っていた。本当のお墓は石川県の輪島や金沢にあるのだが、車の交通渋滞にも巻き込まれず手っ取り早く電車で行ける京都の東本願寺の納骨堂にお参りする事が多かった。ここにもご先祖の分骨が収められているらしい。それでも人混みの中をお歩いてまた長蛇の列をなしやっと並んでお参りは3分くらいで終わってしまう。行き帰りでくたくたになり、帰りに父と抹茶アイスクリームを食べて一服できるのがゆいつの楽しみだった。
ここのお盆は日本に比べてとても静か。6月の半ばから夏休みになり子どもたちは学校も休みそしてお寺も休みになる。なのでお寺からお知らせがあって最寄りの墓地で住職と門徒さんは集合。そして住職がだだっ広い芝生のお墓の前で簡単なお経をあげてからみんなで花を手に1,2本持ちお墓にお供えする。日本と違って見渡す限り芝生。芝生に埋もれて墓石に英語で名前がかかれている。隣にキリスト教のアメリカ人のお墓もあるし、中国人の南無阿弥陀仏と書いたお墓もあるし、まぜこぜ。でも日本名のYamamoto とかNakahara とか数名のお墓が固まっている。日経1世、2世の人たちのお墓だろう。
私たちのご先祖がいるわけではないが、花を何人かの日系人のお墓においてお参りした。日本人の感覚だと赤の他人のお花にお参りするなんてご法度だけど。3箇所車で移動して(墓地は丘一面にあるので歩いて回るのは大変だから)お参りした。そのたびにある人から「このお墓の人は友達で、とても良い人だった。ウクレレがうまくてねー。リッチモンドに住んでたけど、拳銃で撃たれて殺されたんだ」と、とてもショッキングな話を聞かされた。思わず私はその方のお花で手を合わせた。同じ日本人が海を渡り米国に来て苦労の連続だっただろう。やっと落ち着いた頃に殺されて、なんて不憫なんだろう。またある人から「このお墓は私のおかあさんのお墓よ」とか、「このお墓は私の祖父母のお墓です」とか。なんだか話を聞くうちに他人ではないような気持ちになってくる。
静かな墓地を20人位のグループがぞろぞろ移動していく。日系人のお墓参り。墓地のある丘はとても高くてベイエリア周辺の湾やゴールデンゲートブリッジなどサンフランシスコの景色が一望できる。いい眺め。
そして2時からお寺に集合してお盆の行事が行われた。初盆を迎える家族が呼ばれてお焼香。そして阿弥陀経をみんなで読んだ。私にとっては初めての経験だったここでのお盆の行事。とても静かで平和な気持ちになった。
住職が言うには日本では一般的にお盆にはあの世から帰ってこられる御霊様たちをお迎えしてお参りするということになっているが、浄土真宗ではなくなった大切な方たちを思い出してその方々とのご縁に感謝する日になっている。
私は墓地で日系人のお墓をたくさん見て思った。たくさんの日本人が私よりも先にここに来ていろんなことを切り開いて今に残してくれたのだ。例えば近所に日系の大きなスーパーが有り、食材には困らない。便利な世の中だなと思う。でもそれも実はずっと昔に来た日本人が苦労して築きあげたものなんだと気がついた。お寺がここに当たり前に立っているのではなくて、みんなが力を合わせて建てたんだな。いろいろ考えていくと随分赤の他人に汗輪になっているではないか!だからお盆はほんとうに感謝の日なんだと強く思った。
日本にいるときには大阪に住んでいて、夏真っ盛りの暑いお盆の季節になるともっと暑い京都の東本願寺のお墓にご先祖の墓参りに行っていた。本当のお墓は石川県の輪島や金沢にあるのだが、車の交通渋滞にも巻き込まれず手っ取り早く電車で行ける京都の東本願寺の納骨堂にお参りする事が多かった。ここにもご先祖の分骨が収められているらしい。それでも人混みの中をお歩いてまた長蛇の列をなしやっと並んでお参りは3分くらいで終わってしまう。行き帰りでくたくたになり、帰りに父と抹茶アイスクリームを食べて一服できるのがゆいつの楽しみだった。
ここのお盆は日本に比べてとても静か。6月の半ばから夏休みになり子どもたちは学校も休みそしてお寺も休みになる。なのでお寺からお知らせがあって最寄りの墓地で住職と門徒さんは集合。そして住職がだだっ広い芝生のお墓の前で簡単なお経をあげてからみんなで花を手に1,2本持ちお墓にお供えする。日本と違って見渡す限り芝生。芝生に埋もれて墓石に英語で名前がかかれている。隣にキリスト教のアメリカ人のお墓もあるし、中国人の南無阿弥陀仏と書いたお墓もあるし、まぜこぜ。でも日本名のYamamoto とかNakahara とか数名のお墓が固まっている。日経1世、2世の人たちのお墓だろう。
私たちのご先祖がいるわけではないが、花を何人かの日系人のお墓においてお参りした。日本人の感覚だと赤の他人のお花にお参りするなんてご法度だけど。3箇所車で移動して(墓地は丘一面にあるので歩いて回るのは大変だから)お参りした。そのたびにある人から「このお墓の人は友達で、とても良い人だった。ウクレレがうまくてねー。リッチモンドに住んでたけど、拳銃で撃たれて殺されたんだ」と、とてもショッキングな話を聞かされた。思わず私はその方のお花で手を合わせた。同じ日本人が海を渡り米国に来て苦労の連続だっただろう。やっと落ち着いた頃に殺されて、なんて不憫なんだろう。またある人から「このお墓は私のおかあさんのお墓よ」とか、「このお墓は私の祖父母のお墓です」とか。なんだか話を聞くうちに他人ではないような気持ちになってくる。
静かな墓地を20人位のグループがぞろぞろ移動していく。日系人のお墓参り。墓地のある丘はとても高くてベイエリア周辺の湾やゴールデンゲートブリッジなどサンフランシスコの景色が一望できる。いい眺め。
そして2時からお寺に集合してお盆の行事が行われた。初盆を迎える家族が呼ばれてお焼香。そして阿弥陀経をみんなで読んだ。私にとっては初めての経験だったここでのお盆の行事。とても静かで平和な気持ちになった。
住職が言うには日本では一般的にお盆にはあの世から帰ってこられる御霊様たちをお迎えしてお参りするということになっているが、浄土真宗ではなくなった大切な方たちを思い出してその方々とのご縁に感謝する日になっている。
私は墓地で日系人のお墓をたくさん見て思った。たくさんの日本人が私よりも先にここに来ていろんなことを切り開いて今に残してくれたのだ。例えば近所に日系の大きなスーパーが有り、食材には困らない。便利な世の中だなと思う。でもそれも実はずっと昔に来た日本人が苦労して築きあげたものなんだと気がついた。お寺がここに当たり前に立っているのではなくて、みんなが力を合わせて建てたんだな。いろいろ考えていくと随分赤の他人に汗輪になっているではないか!だからお盆はほんとうに感謝の日なんだと強く思った。
自閉症フレンドリーなレストラン
2017/04/18 10:11
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自閉症フレンドリーなレストラン
自閉症フレンドリーなレストランと聞いて皆さんはどう思うでしょうか?私は素敵だなと思って記事を読んでみました。思った通りの記事に嬉しくなりました。私には自閉症の家族はいませんがお友達には結構います。お友達のお子さんとかも。主人がボランティアでやっている音楽グループのAll Together Nowというグループをつくってる。そこのメンバーにはたくさんの自閉症と言われる若者や子どもたちがいるので私はだいたい自閉症なるものがどんなものかは知っているつもり。私の知っている自閉症は多種多様。どの人も同じではないということを学んだ。叫ぶ人もいれば、すごくおとなしい人もいて言葉も声もない人がいる。おしゃべりが好きで同じことを鸚鵡返しに喋って周りの人にまたおなじこといってるの?と思われてしまう人もいる。
でも自閉症ではない人も多種多様ではないか?と気づく。変なファッションが流行って一人でそんな格好をすると恥ずかしいかもしれないけど、何人もそういうファッションを見ているとだんだん普通に見えてくるだろう。それと同じなのか、みんなに知ってもらって自閉症の存在をまず知ってもらうことが大切。そして自閉症のコミュニティーなども小さいグループで近所にあるとみんなが参加しやすくていいなと思った。
この記事ではオーストラリアで自閉症の理解が進んでいないということだったけど、アメリカではどうなんだろうか?あるところではすごく進んでいるかもしれないけど、ある地域ではオーストラリアと同じ場合もあるかもしれないと思った。やはり家族や身近に自閉症の方がいないとわからないだろうなとも思う。
私は縁あって義理の姉の弟、ダウン症の人をたまーにお世話することがある。息子のバスケットボールのシーズンオフのパーティーと重なり一緒に連れて行くことになった。60歳と高齢のこともあり、障害があるせいでアルツハイマーの症状や耳が遠くなって関節も弱り一人で歩けないようになってしまった。食事もホークやスプーンを使わずに手づかみして汚す。こんな感じで知らない人が大勢集まる場所に彼を連れていけるだろうかすごく不安になった。トイレも大変で、もちろん主人が手伝うのだけど、開場のトイレは車椅子が入れるくらい大きいのかなど本当に不安だった。
パーティー会場についたらすごい人で食べ物を取るためにすでに大勢の人が並んで車椅子に気づく人もなく、私は「 Excuse me!」と叫んでもなかなか道を開けてもらえなかった。案の定、これは大変だと思ったけど、係の女性が一人周りの人を押しのけて叫んでくれた。そして道はみるみるうちに広がってやっとテーブルまでたどり着いた。それからみんながなんとなくダウン症の彼を見てびっくりしている人、なんとなく離れていく人または近づいて助けがほしいかきいてくれる人などが現れて私は落ち着いてきた。やっとみんなが私達の存在を認識してくれたことに安心したのだと思う。みんなに無視されて放って置かれるのはどんなに辛いか経験できた。
この経験では私も自閉症が知られていないならみんなに知ってもらうのが本当に大切な一歩だと思った。
自閉症フレンドリーなレストランと聞いて皆さんはどう思うでしょうか?私は素敵だなと思って記事を読んでみました。思った通りの記事に嬉しくなりました。私には自閉症の家族はいませんがお友達には結構います。お友達のお子さんとかも。主人がボランティアでやっている音楽グループのAll Together Nowというグループをつくってる。そこのメンバーにはたくさんの自閉症と言われる若者や子どもたちがいるので私はだいたい自閉症なるものがどんなものかは知っているつもり。私の知っている自閉症は多種多様。どの人も同じではないということを学んだ。叫ぶ人もいれば、すごくおとなしい人もいて言葉も声もない人がいる。おしゃべりが好きで同じことを鸚鵡返しに喋って周りの人にまたおなじこといってるの?と思われてしまう人もいる。
でも自閉症ではない人も多種多様ではないか?と気づく。変なファッションが流行って一人でそんな格好をすると恥ずかしいかもしれないけど、何人もそういうファッションを見ているとだんだん普通に見えてくるだろう。それと同じなのか、みんなに知ってもらって自閉症の存在をまず知ってもらうことが大切。そして自閉症のコミュニティーなども小さいグループで近所にあるとみんなが参加しやすくていいなと思った。
この記事ではオーストラリアで自閉症の理解が進んでいないということだったけど、アメリカではどうなんだろうか?あるところではすごく進んでいるかもしれないけど、ある地域ではオーストラリアと同じ場合もあるかもしれないと思った。やはり家族や身近に自閉症の方がいないとわからないだろうなとも思う。
私は縁あって義理の姉の弟、ダウン症の人をたまーにお世話することがある。息子のバスケットボールのシーズンオフのパーティーと重なり一緒に連れて行くことになった。60歳と高齢のこともあり、障害があるせいでアルツハイマーの症状や耳が遠くなって関節も弱り一人で歩けないようになってしまった。食事もホークやスプーンを使わずに手づかみして汚す。こんな感じで知らない人が大勢集まる場所に彼を連れていけるだろうかすごく不安になった。トイレも大変で、もちろん主人が手伝うのだけど、開場のトイレは車椅子が入れるくらい大きいのかなど本当に不安だった。
パーティー会場についたらすごい人で食べ物を取るためにすでに大勢の人が並んで車椅子に気づく人もなく、私は「 Excuse me!」と叫んでもなかなか道を開けてもらえなかった。案の定、これは大変だと思ったけど、係の女性が一人周りの人を押しのけて叫んでくれた。そして道はみるみるうちに広がってやっとテーブルまでたどり着いた。それからみんながなんとなくダウン症の彼を見てびっくりしている人、なんとなく離れていく人または近づいて助けがほしいかきいてくれる人などが現れて私は落ち着いてきた。やっとみんなが私達の存在を認識してくれたことに安心したのだと思う。みんなに無視されて放って置かれるのはどんなに辛いか経験できた。
この経験では私も自閉症が知られていないならみんなに知ってもらうのが本当に大切な一歩だと思った。
バスケットボールの大会
2017/03/02 07:01
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この前の日曜日に息子の太郎、9歳が所属しているバスケットボールのチームが地元で開催される大会に出場した。この大会はお寺のサポートを受けて組織されていて、すべて所属している子どもたちの親やお寺の関係者たちのボランティアで運営されている。
太郎はバスケットボールのチームに入って3年目だけど、あまり上手ではない。ボールをパスされても危なっかしいので、余計ボールが回ってこない。棒立ち。今年は去年より上手になってパスも少しは回ってくる。ディフェンスで頑張っているがシュートをしないと点数は入らない。厳しい現実。太郎は一度もシュートを入れたことがない。チームでただ一人一度もシュートを入れて得点を取ったことがない。練習ではまぐれで入ったりもする。自分でもだんだんその問題について考えているようだ。
おじいちゃんは横からうるさく「こうやったらやいるんや!」とか、「コーチの言うとおりにしたら入るのに!」とか本当にうるさい。ダディーもそれとなくプレッシャーをかける。私は太郎がかわいそうになり「いつかはいるから心配しないのよー」といってみる。ただの気休めにもならない。こうなったら一緒に練習だ~っていうか、私も入らないし。。。
何日か一緒にバスケットボールのシュートをしてみた。私も体中痛くなって来たがやっているうちに楽しくなってきた。太郎は私のコーチになってどっちの練習だかわからなくなってきた。そのうち私もシュートが入るようになった。はいったらたのしいもんだ。太郎もまけずに入れた。2人のシュートでバスケットゴールが楽しくゆれていた。
大会当日の第一試合目の後半に点数をたくさん取った太郎のチームは勝ちに余裕が出てきた。この時とばかり、太郎のチームのコーチが太郎にシュートさせるようにチームメートに作戦をたせる。そして太郎はついにシュート成功!!!前にもやってもらったがその時はもう少しで入りそうな感じだったのに惜しくもゴールから外れてむなしく落ちた。でも今度は入った!!!ダディーは笑いながら涙流しておじいちゃんも嬉し泣き。私もやったー!と叫ぶ。チームメートの親御さんからも祝福!そして大勝利!しかし、第2試合目は20店もの差でまけた。これも人生。。。一喜一憂の一日。
この大会で審判をしてくれている人たちもボランティアで朝、8時半から来てくれている。その中でとても素敵な審判の方がいらっしゃった。太郎のチームと反対側のコートで審判をされている。はじめは背の高い頭の小さい人だなーと見てたのだが、何故かその人から目が離せない。たしかに男前!背が高くて頭が小さい、振り向けば顔もハンサム。アフリカンアメリカン(アフリカからの黒人)にしては鼻筋が通ってるからどこかの国とミックス(混血)かも。まぁ、ハンサムだから見とれてると言う人もいるだろうけど、なんだか彼の仕草や人に対する接し方がほんとうに素敵!試合の最中にコーチがタイムを取ると選手はベンチにいく。その時はコートは空くので他の子供達がその間シュートの練習などしても大丈夫ということになっている。でも大会だし、少し遠慮気味の子どもたちにその男前の審判は素敵な笑顔で「早くおいで!」と言ってくれる。その声を聞いて6人ぐらいが飛び出てきてシュートの練習が始まる。子どもたちにとにかくやさしい。審判のじゃまになるからここには座らないでほしいとか、そういう文句をいうときにも実に爽やかですぐに言うことを聞く子どもたち。
子供だけではない。試合が終わって誰かのお母さん(中国系アメリカ人)と世間話が始まりすごく盛り上がってる。楽しそう。その審判の方が次の試合が始まるまでベンチに座ってマッサージ棒で足などをマッサージしているとき私の主人が彼の前を通りかかって目があった瞬間にとてもいい笑顔。そして私の主人は「僕も持ってるんだーそのマッサージ棒」といって話が始まる。私はこの男前の審判さん、心も男前やな~と感心。人見知りをしてしまう私も誰にでもこういうふうになりたいなーととても憧れるのでありました。おわり。
太郎はバスケットボールのチームに入って3年目だけど、あまり上手ではない。ボールをパスされても危なっかしいので、余計ボールが回ってこない。棒立ち。今年は去年より上手になってパスも少しは回ってくる。ディフェンスで頑張っているがシュートをしないと点数は入らない。厳しい現実。太郎は一度もシュートを入れたことがない。チームでただ一人一度もシュートを入れて得点を取ったことがない。練習ではまぐれで入ったりもする。自分でもだんだんその問題について考えているようだ。
おじいちゃんは横からうるさく「こうやったらやいるんや!」とか、「コーチの言うとおりにしたら入るのに!」とか本当にうるさい。ダディーもそれとなくプレッシャーをかける。私は太郎がかわいそうになり「いつかはいるから心配しないのよー」といってみる。ただの気休めにもならない。こうなったら一緒に練習だ~っていうか、私も入らないし。。。
何日か一緒にバスケットボールのシュートをしてみた。私も体中痛くなって来たがやっているうちに楽しくなってきた。太郎は私のコーチになってどっちの練習だかわからなくなってきた。そのうち私もシュートが入るようになった。はいったらたのしいもんだ。太郎もまけずに入れた。2人のシュートでバスケットゴールが楽しくゆれていた。
大会当日の第一試合目の後半に点数をたくさん取った太郎のチームは勝ちに余裕が出てきた。この時とばかり、太郎のチームのコーチが太郎にシュートさせるようにチームメートに作戦をたせる。そして太郎はついにシュート成功!!!前にもやってもらったがその時はもう少しで入りそうな感じだったのに惜しくもゴールから外れてむなしく落ちた。でも今度は入った!!!ダディーは笑いながら涙流しておじいちゃんも嬉し泣き。私もやったー!と叫ぶ。チームメートの親御さんからも祝福!そして大勝利!しかし、第2試合目は20店もの差でまけた。これも人生。。。一喜一憂の一日。
この大会で審判をしてくれている人たちもボランティアで朝、8時半から来てくれている。その中でとても素敵な審判の方がいらっしゃった。太郎のチームと反対側のコートで審判をされている。はじめは背の高い頭の小さい人だなーと見てたのだが、何故かその人から目が離せない。たしかに男前!背が高くて頭が小さい、振り向けば顔もハンサム。アフリカンアメリカン(アフリカからの黒人)にしては鼻筋が通ってるからどこかの国とミックス(混血)かも。まぁ、ハンサムだから見とれてると言う人もいるだろうけど、なんだか彼の仕草や人に対する接し方がほんとうに素敵!試合の最中にコーチがタイムを取ると選手はベンチにいく。その時はコートは空くので他の子供達がその間シュートの練習などしても大丈夫ということになっている。でも大会だし、少し遠慮気味の子どもたちにその男前の審判は素敵な笑顔で「早くおいで!」と言ってくれる。その声を聞いて6人ぐらいが飛び出てきてシュートの練習が始まる。子どもたちにとにかくやさしい。審判のじゃまになるからここには座らないでほしいとか、そういう文句をいうときにも実に爽やかですぐに言うことを聞く子どもたち。
子供だけではない。試合が終わって誰かのお母さん(中国系アメリカ人)と世間話が始まりすごく盛り上がってる。楽しそう。その審判の方が次の試合が始まるまでベンチに座ってマッサージ棒で足などをマッサージしているとき私の主人が彼の前を通りかかって目があった瞬間にとてもいい笑顔。そして私の主人は「僕も持ってるんだーそのマッサージ棒」といって話が始まる。私はこの男前の審判さん、心も男前やな~と感心。人見知りをしてしまう私も誰にでもこういうふうになりたいなーととても憧れるのでありました。おわり。