バークレイ お多福

自閉症フレンドリーなレストラン

2017/04/18 10:11 ジャンル: Category:未分類
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自閉症フレンドリーなレストラン    
 自閉症フレンドリーなレストランと聞いて皆さんはどう思うでしょうか?私は素敵だなと思って記事を読んでみました。思った通りの記事に嬉しくなりました。私には自閉症の家族はいませんがお友達には結構います。お友達のお子さんとかも。主人がボランティアでやっている音楽グループのAll Together Nowというグループをつくってる。そこのメンバーにはたくさんの自閉症と言われる若者や子どもたちがいるので私はだいたい自閉症なるものがどんなものかは知っているつもり。私の知っている自閉症は多種多様。どの人も同じではないということを学んだ。叫ぶ人もいれば、すごくおとなしい人もいて言葉も声もない人がいる。おしゃべりが好きで同じことを鸚鵡返しに喋って周りの人にまたおなじこといってるの?と思われてしまう人もいる。

 でも自閉症ではない人も多種多様ではないか?と気づく。変なファッションが流行って一人でそんな格好をすると恥ずかしいかもしれないけど、何人もそういうファッションを見ているとだんだん普通に見えてくるだろう。それと同じなのか、みんなに知ってもらって自閉症の存在をまず知ってもらうことが大切。そして自閉症のコミュニティーなども小さいグループで近所にあるとみんなが参加しやすくていいなと思った。

 この記事ではオーストラリアで自閉症の理解が進んでいないということだったけど、アメリカではどうなんだろうか?あるところではすごく進んでいるかもしれないけど、ある地域ではオーストラリアと同じ場合もあるかもしれないと思った。やはり家族や身近に自閉症の方がいないとわからないだろうなとも思う。

 私は縁あって義理の姉の弟、ダウン症の人をたまーにお世話することがある。息子のバスケットボールのシーズンオフのパーティーと重なり一緒に連れて行くことになった。60歳と高齢のこともあり、障害があるせいでアルツハイマーの症状や耳が遠くなって関節も弱り一人で歩けないようになってしまった。食事もホークやスプーンを使わずに手づかみして汚す。こんな感じで知らない人が大勢集まる場所に彼を連れていけるだろうかすごく不安になった。トイレも大変で、もちろん主人が手伝うのだけど、開場のトイレは車椅子が入れるくらい大きいのかなど本当に不安だった。

 パーティー会場についたらすごい人で食べ物を取るためにすでに大勢の人が並んで車椅子に気づく人もなく、私は「 Excuse me!」と叫んでもなかなか道を開けてもらえなかった。案の定、これは大変だと思ったけど、係の女性が一人周りの人を押しのけて叫んでくれた。そして道はみるみるうちに広がってやっとテーブルまでたどり着いた。それからみんながなんとなくダウン症の彼を見てびっくりしている人、なんとなく離れていく人または近づいて助けがほしいかきいてくれる人などが現れて私は落ち着いてきた。やっとみんなが私達の存在を認識してくれたことに安心したのだと思う。みんなに無視されて放って置かれるのはどんなに辛いか経験できた。

 この経験では私も自閉症が知られていないならみんなに知ってもらうのが本当に大切な一歩だと思った。
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バスケットボールの大会

2017/03/02 07:01 ジャンル: Category:未分類
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 この前の日曜日に息子の太郎、9歳が所属しているバスケットボールのチームが地元で開催される大会に出場した。この大会はお寺のサポートを受けて組織されていて、すべて所属している子どもたちの親やお寺の関係者たちのボランティアで運営されている。

 太郎はバスケットボールのチームに入って3年目だけど、あまり上手ではない。ボールをパスされても危なっかしいので、余計ボールが回ってこない。棒立ち。今年は去年より上手になってパスも少しは回ってくる。ディフェンスで頑張っているがシュートをしないと点数は入らない。厳しい現実。太郎は一度もシュートを入れたことがない。チームでただ一人一度もシュートを入れて得点を取ったことがない。練習ではまぐれで入ったりもする。自分でもだんだんその問題について考えているようだ。

 おじいちゃんは横からうるさく「こうやったらやいるんや!」とか、「コーチの言うとおりにしたら入るのに!」とか本当にうるさい。ダディーもそれとなくプレッシャーをかける。私は太郎がかわいそうになり「いつかはいるから心配しないのよー」といってみる。ただの気休めにもならない。こうなったら一緒に練習だ~っていうか、私も入らないし。。。

 何日か一緒にバスケットボールのシュートをしてみた。私も体中痛くなって来たがやっているうちに楽しくなってきた。太郎は私のコーチになってどっちの練習だかわからなくなってきた。そのうち私もシュートが入るようになった。はいったらたのしいもんだ。太郎もまけずに入れた。2人のシュートでバスケットゴールが楽しくゆれていた。

 大会当日の第一試合目の後半に点数をたくさん取った太郎のチームは勝ちに余裕が出てきた。この時とばかり、太郎のチームのコーチが太郎にシュートさせるようにチームメートに作戦をたせる。そして太郎はついにシュート成功!!!前にもやってもらったがその時はもう少しで入りそうな感じだったのに惜しくもゴールから外れてむなしく落ちた。でも今度は入った!!!ダディーは笑いながら涙流しておじいちゃんも嬉し泣き。私もやったー!と叫ぶ。チームメートの親御さんからも祝福!そして大勝利!しかし、第2試合目は20店もの差でまけた。これも人生。。。一喜一憂の一日。

 この大会で審判をしてくれている人たちもボランティアで朝、8時半から来てくれている。その中でとても素敵な審判の方がいらっしゃった。太郎のチームと反対側のコートで審判をされている。はじめは背の高い頭の小さい人だなーと見てたのだが、何故かその人から目が離せない。たしかに男前!背が高くて頭が小さい、振り向けば顔もハンサム。アフリカンアメリカン(アフリカからの黒人)にしては鼻筋が通ってるからどこかの国とミックス(混血)かも。まぁ、ハンサムだから見とれてると言う人もいるだろうけど、なんだか彼の仕草や人に対する接し方がほんとうに素敵!試合の最中にコーチがタイムを取ると選手はベンチにいく。その時はコートは空くので他の子供達がその間シュートの練習などしても大丈夫ということになっている。でも大会だし、少し遠慮気味の子どもたちにその男前の審判は素敵な笑顔で「早くおいで!」と言ってくれる。その声を聞いて6人ぐらいが飛び出てきてシュートの練習が始まる。子どもたちにとにかくやさしい。審判のじゃまになるからここには座らないでほしいとか、そういう文句をいうときにも実に爽やかですぐに言うことを聞く子どもたち。

 子供だけではない。試合が終わって誰かのお母さん(中国系アメリカ人)と世間話が始まりすごく盛り上がってる。楽しそう。その審判の方が次の試合が始まるまでベンチに座ってマッサージ棒で足などをマッサージしているとき私の主人が彼の前を通りかかって目があった瞬間にとてもいい笑顔。そして私の主人は「僕も持ってるんだーそのマッサージ棒」といって話が始まる。私はこの男前の審判さん、心も男前やな~と感心。人見知りをしてしまう私も誰にでもこういうふうになりたいなーととても憧れるのでありました。おわり。

日系人日本人とアメリカ人

2016/12/31 16:03 ジャンル: Category:未分類
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 信じられないけど明日はもう大晦日!今年は用事で急に12月の頭日本に行くことができたし、かっこちゃん、宮ぷーそしてかっこちゃんの素晴らしいお友達にお会した良い年だったなと思う。日本では地元の大阪の友達ともあって昔を懐かしんだり近況報告しながら時間がいくらあっても足りなかったなー。。。ほんとうに楽しかったなーまたいきたいなー日本はやっぱりいいなー。。。

 バークレーに帰ってきてクリスマス、年末とずっと忙しいのだけど、、、それに加えて今週は2つのお葬式があった。いつもお世話になっているバークレー東本願寺の門徒さんのお母様が2人亡くなられてその方たちのお葬式だった。いわゆる日系アメリカ人2世の方たちだ。

 マサコ95歳さんとメイさん87歳という方。お二人共私にとってはあまり馴染みのない方だった。今日、お葬式だったメイさんの生い立ちをお聞きして私は本当に心が動いた。

 メイさんは1929年にオハイオ州の大自然の中で生まれ、7歳まで育ったらしい。現地のアメリカの小学校が終わったあと、子供の足でかなりの長い道のり2キロ位を歩いて日本語学校まで通われたそうです。そしてワシントン州に引っ越し、ご自分のお母さんの目の治療のために日本に一時帰国されました。その時に第二次世界大戦(1939−1945)が始まりアメリカに帰れなくなり、広島の原爆投下の時に広島にいらっしゃいました。ご自身は無事だったということで16歳のメイさんは必死で原爆で負傷した方たちのお世話をされたそうです。

 私はそのお話を聞いてメイさんがどんなに複雑な気持ちだったか考えました。アメリカで生まれた日本人。日本に帰ってきて自分の故郷と自分が生まれた国が戦争して、自分の生まれた国が原爆を落とした。多くの人がとても酷く傷ついてアメリカ人でもあり日本人でもあるメイさんはどんなに胸が引き裂かれたことでしょう。

 戦後、メイさんとメイさんのお母様は無事アメリカに帰国されたそうです。そして結婚し、3人の男の子の母となりますが、夫を早くになくされます。東本願寺のお寺の婦人会のなかでも一番の働き者で、夏のバザーでは一日中みんなの嫌がる台所の洗い物を担当され決して他の人にはやらせないくらい頑固に奉仕をされていたようです。みんなに優しくて誰からも好かれたメイさんは4人のお孫さんに恵まれていました。一人のお孫さんのお話で、メイおばあちゃんの料理はいつも最高だった。いつもお正月や大きな集まりにはたくさんのごちそうを作ってみんなを歓迎してくれた。お腹がすいたといえばおいしいものを作ってくれる。そしてサヨナラを言う時はお互いに見えなくなるまでバイバイを言い続けるおばあちゃんだったそうです。
 
今日のお葬式はお寺の本堂に入りきれないくらいの人が集いました。メイさんの人柄の素晴らしさを見せていただいたようでした。

 私は正直いって今まで、日系人という特別な人種について理解するのが難しいと思っていました。はっきり言って苦手な人たちでした。なぜならアメリカ人でもなく日本人でもないこの人達は独自の古臭い日本の伝統を守ったりそうかと思えば日本人が考えつかないようなアメリカンな行動があるからです。日本で生まれ育った私にもアメリカで育った主人にも理解できない人たちでした。

 しかし、今日のメイさんのお話を聞いて私は日系人の人を少し理解できるように思います。私が日系人の歴史や複雑な思いを知らないで勝手に壁を作っていたのかもしれません。私もアメリカ人半分、日系人半分になってきたのかもしれません。戦争は決して良いことではなかったけれど、その中の経験や昔の人のお話の中にはたくさんの教訓や許し、慈悲があるのもです。お年寄りのお話に耳を傾けなまの歴史を学びたいなと思いました。


 

大混乱2016年大統領選挙

2016/11/10 16:01 ジャンル: Category:未分類
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 日本でももう皆さんご存知のようにアメリカ合衆国の新しい大統領はドナルド トランプ氏と決まった。この最悪のニュースを聞いて息子の学校でも先生や生徒たちが困惑を隠せずにディスカッションをしたり、もうこの世の終わりだというように嘆きを隠せない人もいたようだ。私はちょうどアートのクラスのボランティアで息子の学校に行った。アートの先生は泣きはらしたような目だった。クラスが終わってから昨日の大統領選の結果の話をしてどうも納得の行かない悔しい表情。アメリカ人はストレートに言葉や顔に出る。というか、出す!

 保育園の先生をしている友達も言っていたが、先生や保育園に子供を連れて来る親御さんたちもかなり動揺して泣いてる人もいたそうだ。友達は「みんなどうかしてるよー。」と言った。私も同感だった。

 バークレーという場所柄もあるのか。リベラルを誇っているこの街では許されないことが起こったようだ。。。私だって民主党を応援していた。前にも書いたがバーニー サンダース氏が民主党からの大統領候補になって欲しかった。でもかなわなかった。ヒラリー クリントンさんのやり方は応援できない。ドナルド トランプ氏を選ぶわけもない。この選挙は自分にとっても苦渋の選択だった。

 迷った末に私は他の党の人を選んだ。知らない人もいるかもしれないが、大統領候補者はヒラリーさんとトランプさんだけではない。どうしてみんなの演説がないんだろう?

 昨日の大統領選のニュースの結果を知った息子は半泣きになりスパニッシュのお友達のことを真っ先に心配した。彼らや彼らの家族がメキシコに強制的に帰還させられるのではないかという恐れで。いくらトランプさんが大統領になっても合法的に住んでいる人たちまではそんなことはできないだろう。アメリカにも大統領も従わなくてはならない憲法がある。

 今日1日は本当に混沌とした日だった。バークレーだけでなく他でも混乱を隠せない人たちはいただろう。でも冷静にならなくてはだめだと思う。取り乱して子供も不安にしてしまう先生や親に私は失望した。

 みんな色々FCなどでディスカッションが広がる。そして民主主義ってなんだろ?とか、いろんな疑問が湧いてきてみんなが考えてそうやって政治に参加するのはとても良いことだと思った。

 バークレーの公立高校の生徒が朝、校庭に集まりプロテスト?をやったらしい。トランプ氏が大統領になるのにはどうしても納得がいかないということで。大きな混乱やけが人も出ていないがこの子どもたちの気持ちを大人がどうやってサポートしていくべきかなんて学校関係からメールが届いていた。

 新しい大統領は一体どうやってこの国をグレートアメリカにしてくれるんだろう。怖さもあるがなんだかワクワクしないわけではない複雑な自分に苦笑してしまう。


 



あなたは「1/4の奇跡」を観ましたか?

2016/09/03 02:16 ジャンル: Category:未分類
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 私はアメリカに住んでいる。同居している父がTVJapan(有料日本テレビ番組)でNHKのニュースを観てその話を良くしてくれるのだけど、残念ながらいつも悪いニュース。相模原の事件はその中でも最悪だった。

 サンフランシスコに在住のマコさんに映画のイベントでお会いした。よくお会いするが、なかなかおしゃべりできなかった。この日は初めて色んなお話をして最後にハートオブミラクルの会員なので自主上映ができるとお話を頂いた。しかも少人数制のおうち上映会!これならできると即答 Yes! 

 昨日、9月1日(木)「1/4の奇跡」のお家上映会。5人も来られてマコさんと私を入れて7人みんなでおうち上映会。私はこの映画を観るとはじめから泣いてしまうので台所で聞いいていたそれでも泣けてくる。どうして涙がでるのか?それは山元加津子さんが本当に事を言っているから。大ちゃんの詩が本当のことを言っているから、ゆきえちゃんのメッセージがほんとうのことをいっているから、映画に出ているみんなが本当に事を言っているから。加津子さんの言葉は直球で心に飛んで来る。用意してなくて慌てて避けるか覚悟を決めてしっかり受けるか、どちらかしかない。

 山元加津子さんを初めて知ったのはもう、5,6年前?イネイト健康法の加古川むつう整体で加津子さんが講演会をされたその動画を閲覧した時。でも、申し訳ないのだけど、その時は私は直球を受ける準備ができてなくて加津子さんの言われていることがさっぱりわからず、、、どうしてみんなが加津子さんをそんなに賛美するのかわからなかった。

 それからその時の加津子さんのお話で学校でたらこの卵を数えたお話があって、たらこの卵は数えきれないほどある、その中の全部は子魚になれなくてその子魚もまた全部は大人の魚にはなれないというお話が妙に私の頭から離れない。それから2,3日そのことばかり考えて突然ひらめいた!愛だ!自然はみんなを愛してるんだ!

 たらこの殆どは他の生物の餌になる。小魚もそうだ。じゃぁ、魚になれないんだったらそんなにたくさん卵も生まなくていいし、小魚も少なくて確実に合理的に大きくなれば無駄がない。でも実はその無駄が他の生物を養っているんだったというお話を思い出してやっと加津子さんの言いたいことがわかったのだった。遅いけど。。。

 それからまもなくすごいタイミングでサンフランシスコの仏教会館で「1/4の奇跡」の上映があると知ってまだ3、4歳だった息子を連れて観にいった。実はその企画をしてくださったのはサンフランシスコのマコさんだということを昨日知った。私はこの映画を観てあの時もはじめから涙が止まらなかった。息子はびっくりして何度も大丈夫かと聞いてくれた。

 映画を観たあとは何ヶ月か後に「僕の後ろにみちはできる」の上映と講演会で加津子さんご本人と旅のお仲間がサンフランシスコに来られて初めてお会いした。それからはメールやFBでコンタクトを取らせていただいている。今考えると、すべてすでに用意されていたところへ私は座っただけのような感じ。そして白雪姫プロジェクト支援の関連で介護もしたことない私がおこがましくブログを書かせていただいている。

 加津子さんに教えていただいたことは誰とでもしっかり向き合ってお話すること。ボランティアで知的障害を持った方々と音楽のグループを作って練習しているが、自閉症の方達も一人ひとり違うのでその人にあったやり方で音楽に参加してもらうという余裕が私にも出てきた。あと、みんなと目が合うように(自閉症の方たちは目を合わすのがむずかしい)なったりみんなの表情が変わってきた。そういうみんなの個性を尊重してお付き合いすると相手の良い所や才能が見えてくる。そしてお互いに尊敬できるのではないかと思う。

 「1/4の奇跡」の映画を見て私は自分の昔を思い出す。小学校2年生の時、養護学級というのがあってそこから授業に参加してくるサトコちゃんという色白で可愛い女の子のこと。サトコちゃんはいつも車いすで手とか足も不自然に曲がっていて折れそうに細い。あちこちにギブスのようなものをつけられてロボットのようだった。

 私は休み時間に養護学級に遊びに行ってサトコちゃんと遊んだりクラスに来た時はお世話もした。お人形のような真っ赤な唇からいつもよだれが出てくるのでサトコちゃんはくびからタオルをぶら下げていた。そのタオルで私は彼女の口を何度となく拭いていた。サトコちゃんはしゃべれないけど、私たちは確かに一緒に遊んでたのしかった。お友達だったと思う。それは私だけではなかっただろうし、子供同士の自然なことだったんだと思う。でも先生は私が特別サトコちゃんのお世話をしてとても偉いと私の母に言ったらしい。残念ながら私の母はその話を聞いたあとに私にもう養護学級の子どもとは遊んではいけないといった。

 私は幼子心に「どうして!?」と聞きたかったができなかった。親に反抗するにはまだ幼すぎた。そしてそれから養護学級にはいかなくなった。今でも時々思い出すサトコちゃんはどうしているだろう?色が白かったのは外で遊べなかったから、手足が細いのは普通に食べたり運動したりできなかったから。今思えばいろんなサトコちゃんの不自由さがわかる。でもそんなことをわかるよりも友達でいられたほうが良かったんだろうけど。

 私の母はひどい人かもしれない。障害のある方たちや傷痍軍人の方たちに会うと露骨に嫌がる。私には見たらだめだという。いつも私は「どうして!?」」が言えなくてずっと心の奥に閉まっていた。私の母はある意味世間知らずだったのだと思う。本当のことを知らなかったから、色々恐ろしかったのだと思う。

 私はずっと疑問を持ち続けていたが親に反抗する前に親がバラバラに成ってしまった。母は私が17歳に時に家出した。なので私の暗い部分や疑問はますます膨らむばかり。でもけっして表には出てないから自分でも忘れていたくらいだった。

 「1/4の奇跡」を観て涙がでるのは今までの疑問が溶けていくからかもしれない。今日の私は昨日よりもっとすっきりしている気がする。この映画の素晴らしさは観て貰わないとわからないと思う。

 同居している父も本当のことを知らなかった。でも私が主人と結婚して障害のある方たちと音楽グループの手伝いをするようになると父も率先して荷物を運んだり手伝ってくれる。最近はタンバリン役でとても正確にリズムを刻んでくれる。その父も「1/4の奇跡」を観たいと言い出した。よし!今夜は家族上映会をしよう!

 

 


 


プロフィール

お多福ちゃん

Author:お多福ちゃん
ゆかり マッカーシー 2006年
結婚を機にアメリカ カリフォルニア バークレーに住む。 山元加津子さんの「白雪姫プロジェクト」に賛同し応援するために苦手なPCと向き合いブログを始める。下の「白雪姫プロジェクト」をクリックしてください!

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