バークレイ お多福

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いたりあいちばのお話

2013/07/25 13:48 ジャンル: Category:未分類
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DSCN0156.jpg

最近、私は仕事を探している。でも、なかなか子育てや家事の今のレベルを保ちながら仕事をするというのは難しい。場所もバークレーではなくてサンフランシスコなら仕事もたくさんあるが通勤時間やフルタイムで働く事を考えたら今のように家事は出来なくなる。ここで、子育てや家事より仕事を優先するかその反対かと毎日のように悩んでいるのである。まだ履歴書も応募もしていない段階で凄く悩んでいる。自分の結論が出ないと次ぎに進めない。

今日、山元加津子さんのメルマガを読むと私の疑問に答えをくれるお話が載っていた。本当に大切な事は何だろうとまた思い出させてくれた。白雪姫プロジェクトのお仲間のブログ”いたりあいちば”(http://blog.goo.ne.jp/kuromaruyoga)からです。以下,かっこちゃんのメルマガから抜粋です。

***白雪姫プロジェクトいたりあいちばからです。
・・・・・・
「履歴書」今日お友達から、履歴書を送ってくれるように頼まれました。私の住んで
いる街に女性の家(コミュニティセンター)に、お母さんのための窓口を作るため、
頭数をそろえなくてはいけないためだそうです。女性の家(コミュニティセンター)
を作る運動は数年前から行っていて、いよいよ、発足できそうな予定。いろいろなボ
ランティア団体が、協力して、その女性の家に必要なサービスを提供していく予定で
す。私は、妊婦さんに、ヨガを教えていることもあって、出産と子育てに関するボラ
ンティア団体のお手伝いをしています。
ヨーロッパ基準の履歴書でいいかなーと思って、ダウンロードをして、書き込んでみ
ました。でも、でも、職歴、学歴、、、??? 

私は子育てが始まってからは、まったく仕事をしていません。もちろんお家の仕事は
していますが、会社に勤めたり、役職についたり、○○部門で働いたりは、していま
せん。子育てはとっても大変な仕事なのですが、世の中の職歴に、学歴欄には、フル
タイムの子育て、とは書けないんだなーと、当たり前なことですが、すごく残念でし
た。その部分の時間は空欄なのです。まるでこの数年間、何もしてこなかったよう
に。
私が今まで経験したものの中で、留学、大学生活、真夜中まで企業で働いたり、通訳
の仕事をしたりする以上に、私にとっては、学ぶものが多かったと思います。成長さ
せられ、仕事に必要な、忍耐力、体力、人とかかわる能力、人の気持ちを察する力等
も、自然と備わっていきました。多くのお母さんは、子育てをしたら、「外の仕事っ
て、楽だよねー」と言っている方ばかりです。それだけ、人間としての器が広がった
ことなんだろうなーと思っています。

介護をしている方も、同じだと思います。介護経験があることで、仕事に対する態度
とかも変わってくるのではないのかな、と思ったりもします。
私が、もし、人とあって、その人に仕事を頼むかどうか、を決めるとき、小さい子供
がいる人は、時間に自由がきかないから困るな、とも思うかもしれませんが、子育て
をした人は、特定の職種に就いた人とは違う、いい経験があるなとも思えるのです。
子供に関する仕事ではなくっても、それは、通用するのではないのでしょうか。
職歴、学歴、の以外に、子育てや、介護、ボランティアも、もしかしたら今では、否
定的に取られてる、不登校とか、引きこもりとかも、仕事を探すうえで、プラスにな
る、ようになればいいなーと思ったりします。

例えば、会社の面接で、「おばあさまの介護を5年もなすったんですか、すごい履歴
ですね、うちの会社にはもったいないぐらいです。」とか、、
「子育てをした経験がある以上、パートタイムっていうわけにはいかないですよ
ね。」とか、
「お孫さんを3人も育てたってことは、保育園長の仕事にピッタリです。」とか。
そうすれば、子育ても、介護も、この仕事が終わったら、ひと段落したら、人に必要
とされる何かが待っている、すごい能力が備わると思うと、頑張れるんじゃないか
な。じゃなくって、そうなんだよね、すごい能力が発揮されていっちゃうんだよね、
子育てには、、。
私の心の中の履歴書には、聖職歴、2人の娘の子育て7年、授乳経験2年6か月、妊
娠期間20か月、おむつ替え経験5年。年間休日あったけ? 「よくやってきたよ
ね。」と書いておきます。
・・・・・・
(かっこちゃんのコメント)
本当に、数字や、あるいは、表に文字として表われないことに、本当に大切なことが
隠されているんだなあと思いました。学校の子どもたちでも、私はいつもそう思いま
す。たとえば、要録に並んでいる数字では決して見えてこない、大切なこと。いつも
ニコニコ笑っていてくれるんですとか、昆虫の名前ものすごく詳しいんだよ。お料理
が大好きとか、そんなことが仲良くなれるきっかけにもなります。そしてすごいなあ
と改めてそのお子さんのことを深く知ることができたりしますね。仕事もそうです
ね。毎日していることが職歴という中では表れなくても、子育て、毎日の食事作り
や、介護など、どれもなんと素晴らしいお仕事と思います。大切なことをありがとう
ございます。

かつこ***
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ご近所のパパ友達

2013/07/23 15:04 ジャンル: Category:未分類
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DSCN0203.jpg
ご近所の太郎のお友達Kくん(太郎より実は2つ歳下)のパパからお庭の畑で穫れたズッキーニー特大、大、中大の3個をいただいた。前の日に私がブルーベリーパイをお裾分けしたお礼にくださったのかもしれない。そもそも,なぜ私がK君のパパにブルーベリーパイをもっていったかというと,K君と一緒に太郎を少し遠い公園まで連れて行って2、3時間遊んでももらったりアイスやおやつをごちそうになっからだった。こんな事は初めてではなくて結構太郎を自分の息子と一緒にどこかに連れて行ってくれるのだった。

主人は忙しくしているし私はまだ車の免許がないのであまり遠出は出来なくて太郎を連れて行って楽しませてくれるのをいつも凄く感謝している。そう、感謝の気持ちがブルーベリーパイだった。いつもお世話になってるからと思っているのだが、向こうは凄く喜んでくれるのだけど、余計気を使うようでお返しがすぐにきたという訳。

それにしても大きいズッキーニーだな。凄く新鮮なので皮も中のカボチャみたいな種も柔らかくて全部食べられる。ズッキーニースーブをまず作った。

DSCN0207.jpg
切ってみると,こんな感じ。種も大きいねー
DSCN0220.jpg
そして、ズッキーニーブレッドも作ってみた。

DSCN0227.jpg
そして、ズッキーニのドリアも作ってみた。

どれも美味しかった。新鮮な野菜は本当においしい。Kくんのパパのお庭は広くて日当りがいい。ここに引っ越してくる2年前に牛の糞の肥料を混ぜて土づくりからしているお庭なのでお花や果物、野菜も栄養たっぷりで大きくて生き生きしている。表の通りに面している事もあって通るたびに見とれてしまうくらい素敵なお庭だ。

Kくんのパパと知り合いになったのは去年のうちの近所でのブロックパティーだった。近所の道路を市から許可をもらって通行止めにして近所の人たちがごちそうを持ち寄って道でバーティーをするのだけど、その目的は地震が起こったときの対策本部の紹介、災害が起こる前に用意すべき事等地域の消防隊も駆けつけて色々説明をしてくれる。避難場所やパニックにならない冷静な行動をとりまず何をすべきか等。そういうイベントや勉強会が終わると食べたり飲んだりしゃべったり日が暮れるまでわいわいパティーを楽しむ。

実はKくんのパパは2人いる。太郎のクラスメートの一人もそうだがゲイカップルの結婚だ。薬指に指輪もはめている。初めは正直、なんだか抵抗があった。そういう世界は知らないのでやはり偏見のような情報が頭をよぎったかもしれない。でも、Kくんのパパはとても素敵な人でさわやかでとても男らしい。K君と太郎が気があってよく遊ぶのをきっかけにお互いの子供たちは家を行ったり来たりしてとても仲良くなって、K君のパパも太郎を一緒に遊びに連れて行ってくれたりするようになった。私もなるべく交代でK君をうちによんだりしている。

私は絶対K君のパパの方が太郎の面倒を見ていると思うのだけど、K君のパパは私の方がKくんをよくみてるという。そしてとても気にする。そいう繊細なところが内面にはあるんだな,と最近思う。女の私の方が大ざっぱかもしれない。

Kくんのもう一人のパパにも会ったが彼も外見は男らしいのだけど声やしゃべり方がとても丁寧でやさしい。人柄がにじみ出るというか。私は感情や思いつきでべらべらしゃべるのでも一人のパパのしゃべり方にとても憧れる。もっとこの人としゃべりたいなと思う感じ。

男同士,又は女同士結婚するケースが増えている事を聞く。それだけではなくて子育てもして家族をつく人も増えているのだろう。そういえば太郎も幼稚園全クラスの生徒合同で『いろんな家族』というテーマの教育DVDをみせられていた。私はたまたまそのときボランティアでいたので一緒に観ていたが結構、現実的な内容でビックリしたが、5歳、6歳の早い時期からいろんな家族がいてもおかしくないという考えをもたせるのはアメリカらしいなと思った。パパが2人、ママが2人、パパだけ。ママだけそして2人目のママかパパ又はどちらもいなくて祖父母や親戚にと一緒に暮らしたり,全く他人と暮らしている子供たちの家族。それは何もおかしくないなぜならみんな『愛』で繋がっているからだと結論づける。なるほど。あ!うちも結構複雑な家庭だと気がつく。私はヒカルにとっては継母だから。

ある日,太郎が私にいった。『Kくんの2人のパパはキスするんだよー。』そこで私、「あたりまえでしょう、結婚してるから。愛し合ってるのよ」そして太郎は『愛があるの?』私「そうよー」この会話を何気なく乗り切った私だが内心凄くドキドキした。

太郎が寝てから主人にこの会話の事を話すと主人は『太郎の不安な気持ちを受け止めてあげないとね』と言われた。おそいけど、あーそうだったなと気がつく。不安だから私にいったんだ。でも情けない母はもっと不安だった。正直どう答えていいか分からなかった。でも正直にビックリして太郎の気持ちも聞いて一緒に考えればよかったのではないかと後悔しているがもう遅い。子育てしててこうした失敗を繰り返している事は多い。。。

今日も太郎はK君とうちで遊んだ。私も今日は子供たちと遊んだ。たまにはいいではないか!夕食なんて冷蔵庫の残り物で何とかなるさ!楽しく遊べるのは今しかないんだ!なんてね。でも主人が帰ってきたら少し後悔する気の弱い私である。。。ごめんね。夕食、、、これでいい??みたいな。。。

最近、私はゲイカップルという言葉を使いたくない。Kくんのパパたちをみてから彼らの子育ての中で子供と一緒にたのしんで遊んでいるのをかいま見ると私ももっと楽し子育てしたいなと駄目だと反省する。小さい事が出来なくてガミガミ怒っているだけではだめだな。パパたちを見習って人生は生きている事は素晴らしく楽しいものだよー今を楽しまなくちゃ!と子供に伝えたいなと思った。



7月18日 マンデラ・デー

2013/07/18 14:02 ジャンル: Category:未分類
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DSCN0222.jpg

以下、山元加津子さんのメルマガの記事の抜粋です。
***
詳細ヘッダー
 第1442号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと  
                    2013年7月18日現在 参加者人数6344人
 「7/18 昨日の宮ぷー」      
このメルマガを初めて読まれる方へ 
メルマガの生い立ちをこちらのページに書いていますので、ご参照ください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html

今日7月18日は、マディバ(ネルソン・マンデラ)の誕生日であると同時に「ネルソ
ン・マンデラ・デー」でもあるそうです。
2008年に「マンデラ・デー」は国連の国際デーに定められ、国連は「誰かの幸せのた
めに67分の時間を費やす」ことを推奨しています。

下の動画は、マンデラさんの声で、みなさんにお話をされています。

・・・・・・
みんなが住むこの世界をより良くすること、それはあなたの手にかかっています。
マンデラ・デーは祭日ではありません。
マンデラ・デーは奉仕の日です。
時間をかけて、気持ちを込めて、自分の住むコミュニティーが良くなるような何かを
してください。
・・・・・・
http://youtu.be/JIrtMTgAV9A

私も67分、誰かのために、心をつくして何かをしたいなと思います。早起きするか、
どこかで何かをするか、自分のできることは何か、考えています。本当はいつもいつ
もそれができたらいいのだけど、大きなことではなくても、普段は勇気がなくてでき
ないことにも、勇気を持ってできることを探したいです。

ひろじちゃんが素敵な映画を紹介くださいました。
・・・・
かっこちゃん 今日は、カンタ!ティモールという映画を見てきました。かっこちゃ
んはすでにご存じでしょうか。
身内に数多くの犠牲者を出しながら、殺人、暴力、レイプ、様々な、信じられないよ
うな苦痛を長年にわたって受けてきながら、(信じられないことですが)、人を恨ま
ず、民族絶滅の危機に瀕しながらも、24年間かけて、少しづつ政府軍の中に、自分
たちの理解者を増やしつつ、とうとう独立を勝ち取った国のドキュメンタリーです。
なんと独立の後も政府軍から絶滅作戦のような、あまりにも残虐な、徹底的な殺戮行
為があったそうですが、彼らは決して人を恨みません。そして、手厚く葬る、という
ことをとても大切にしています。

いつも、(悲しんだりしないで)笑いなさい、というのが家族の中での日常会話、だ
そうです。僕たちの思う「(他者を)許す」といのではおそらくなくて、悲しいこと
があると、それは、「自分たちの(自分たちに含まれる)過ち」による、という(信
じがたい)認識です。すべての過ちは(自分たちの)誤解によって生じる、だから、
もっと(自分たちのことを)わかってほしい、という考え方のようです。
たまたま、監督さん(広田さん)の舞台あいさつがあって、環太平洋には、すてきな
民族がいる、ということは若いころから知っていたそうなのですが、まさか、東チ
モールを題材にした映画を作ることになろうとは、当初は思ってもいなかった、とい
う、どこかで聞いたような(1/4の奇跡風)流れがあったそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=Gv7-cPNusUc 

決して怒らない、決して恨まない、という民族がこの世の中にはいるのですね。「怒
る」のは人の仕事ではなくて、「神の仕事」だそうです。心理学的には怒りは不安な
ので、何があっても不安感を抱かない、ということだと思います。彼らにとっては、
死でさえも、(別れによる悲しみの対象とはなっても)恐れの対象ではない、という
ことのようです。
なんと、戦後の急成長を遂げた日本からは、インドネシアに対して長年(石油目当て
の)経済援助がおこなわれてきたそうで、それは、インドネシアから東チモールに対
する、24年間にわたる残虐な攻撃を、陰で(世界のどこの国よりも強力に、間接的
に)支援してきた、ということを知り、ショックでした。石油を安く手に入れるた
め、インドネシアに対して、永年にわたる手厚い経済支援を行い、それによって、政
府軍は容易く(東ティモール弾圧用の)武器を手に入れることができたそうです。も
ちろん、彼らはそのこと(彼らへの弾圧が、インドネシア一国の力で成立するもので
はないこと)をよく理解していました。

彼らの独立後、日本は、これまで(の間接的虐待活動)とは逆に、東ティモールの独
立後を支援しているそうですが、日本からインドネシアへの経済支援という、(ほと
んどの日本人が知らなかった)背景によって、インドネシア政府からの執拗な弾圧、
殺戮行為を受けてきた彼らは、そのことをただただ、「(世の中の)矛盾」、とのみ
表現していました。信じられないことですが、日本を恨むような言葉はおっしゃって
いません。
謎を解く鍵として、東チモールでは、「あなた」、と言う言葉と「わたし」という言
葉が共通である、ということを話されていました。
彼らの言葉をそのまま訳すと、あなたと私、ではなくて、わたしたちとわたし、とな
るそうです。

「(自分たちを攻撃してきた)インドネシアという国が過ちをする」、という表現で
はなくて、「わたしたちは過ちをする」、という表現になるそうです。

映画監督の広田さんは、ジルボルトテイラーさんの、奇跡の脳のお話しを読んで、言
語脳の機能が停止したときに、自分と他者の区別がなくなる、ということを知って、
書字の文化を持たない、いつも自然と共に生活してきた彼らの基本的な考え方が、腑
に落ちた、とおっしゃっていました。
世界にはすばらしい民族がいたのですね。嬉しいことに、虫の声を左脳で聴くのは、
ポリネシアの人と日本人の特徴、だとか。彼らは何万年も前に遠洋漁業をしていたこ
とがわかっており、遠い昔、彼らと日本人の間には、交流があった可能性があるそう
です。

社会の発展にともなって、言語脳を鍛えれば、分断した社会に棲む(環境をそのよう
に、他者と自分は全く別もの、とのみ認識する)ようになり、(社会の中で分断され
た個であるが故の)不安感が高じて、その結果、攻撃的になる、という流れがある、
ただし、世界の中には、今でもそのようには流されていない、貴重な、究極的にやさ
しい、天使のような民族があることがある、というのが映画の内容でした。そういえ
ば、日本にも、中国から漢字が輸入されるまで、文字という文化がなかったのではな
いでしょうか。文字の文化がない民族、ということをずっとネガティブに解釈してい
ましたが、この映画を見ると、そして、彼らに文字の文化がなかったことを聞くと、
決してそうではない、文字は非常に便利ではあるが、大切な何かを失う可能性を秘め
た分化である、ということがわかりました。

どこまでも攻撃的にならない、というのが、アイヌの人や、沖縄民族、ネイティブア
メリカン、に似ているように思いました。しかし(皮肉というか、なんというか)、
最後の最後まで攻撃的でない人は、現代においては、他民族から徹底的に攻撃され、
そして、世界に向かってその真価を発揮する(世界へ大切なメッセージを伝える役を
担う)ということでしょうか。
東ティモールはまるで、弾圧の中で気高く生きる、チベットのお坊さんたちが集まっ
たような国です。原爆や度重なる地震があっても(決して人を恨まない)人が住む日
本も、どこか似たような運命を生きていて、彼らとともに世界へ向かって何かを発信
できる仲間と成るのでしょうか。かっこちゃんがおっしゃっていたように、許す、と
いうのではない、何か別の捉え方、認識法が確かに(環太平洋という領域に、民族規
模で)あったことを知りました。ひろじ
・・・・

人間はきっともともと愛でいっぱいに作られているのだろうかと思うと、本当にうれ
しい気持ちになります。けれども、現実には、つらいこともいっぱい起こります。そ
れでも、チモールの人々のように考えたり、マララちゃんや、マザーテレサさんや、
マンデラ大統領のように、決して人を恨まないで、そして優しく強く、大切なことを
ゆずらずにいられる遺伝子がきっと私たちの中にもあるのだろうと思うのです。文字
のない文化のこともものすごく興味深かったです。

かつこ

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(関連ページ)
宮ぷー レッツチャットで、今日もおはなし http://ameblo.jp/miyapu-ohanashi/
おはなしだいすき http://ohanashi-daisuki.com/
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2013/07/16 15:04 ジャンル: Category:未分類
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山元加津子さん、かっこちゃんのメルマガにとてもいいお話が載っています。多くの方に読んでいただきたいのでまた宣伝させてください。

山元加津子さんのメルマガは http://shirayukihime-project.net/kokorono-kakehashi.htmlです。

かっこちゃんは8月の夏休みの旅行に南アフリカに行かれるそうです。そしてアパルトヘイトの事やネルソンマンデラ氏のことをメルマガに載せてくださいました。以下その記事です。
***
南アフリカへの旅が近くなってきて、マンデラ大統領のことを、今、ものすごく知り
たいです。マンデラ大統領の映画を紹介します。
・・・・・・
「マンデラ名もなき看守」あらすじhttp://movie.walkerplus.com/mv37092/ より
1968年、南アフリカ共和国。アパルトヘイト政策により、黒人には投票権がなく、住
居や就職、教育でも差別されていた時代。ジェームズ・グレゴリー(ジョセフ・ファ
インズ)は、国内一の刑務所と名高いロベン島に看守として赴任する。そこで彼は反
政府運動の首謀者ネルソン・マンデラ(デニス・ヘイスバート)の担当を命じられ
る。コーサ語を話せるグレゴリーに、黒人たちの秘密の会話をスパイさせることがそ
の狙いだった。妻グロリア(ダイアン・クルーガー)とともに異例の出世を喜んでい
た人種差別主義者のグレゴリーだったが、刑務所内でも堂々と振舞うマンデラの姿に
特別な印象を抱く。

しかし、面会に来た夫人とマンデラの会話をグレゴリーが上司に報告したことで、彼
の息子が暗殺される。普段の落ち着きが嘘のように息子の死を悲しむマンデラの姿
に、同じ父親としてグレゴリーは深く同情。そして、グレゴリーの中で、“危険なテ
ロリスト”というマンデラに対するイメージが次第に覆され、“人種を超えて平和に
暮らせる世界”を目指すというその思想に共感していく。1975年のクリスマス。グレ
ゴリーは、二年ぶりに面会する妻に贈りものを渡したいというマンデラの願いを聞き
入れる。しかし、その行動は大きな問題となり、黒人びいきと罵られたグレゴリーの
一家は孤立。彼は転属を願い出て、マンデラの元を去る。

1982年、マンデラの長期投獄に反対する世界中の圧力に屈した政府は、彼をポールス
ムーア刑務所に移送する。グレゴリーはそこで再びマンデラの担当となり、二人は再
会。しかし、もはやグレゴリーは無教養な人種差別主義者ではなかった。武装闘争が
激化する中、南アフリカは真っ二つに割れる。“黒人びいきの子供は殺す”と脅され
るグロリア。それでもグレゴリーは、マンデラの輝く瞳の中に未来と希望を見出して
いた……。

・・・・・・
インビクタス/負けざる者たち 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『インビクタス/負けざる者たち』(原題:Invictus)は、2009年のアメリカ映画で
ある。インビクタスとは、「征服されない」「屈服しない」など、不屈を表すラテン
語。
ストーリー[編集]舞台は1994年の南アフリカ共和国。ネルソン・マンデラは反体制活
動家として27年ものあいだ投獄されていたが、1990年に釈放されこの年に同国初の黒
人大統領となった。それまで政府の主要ポストを占めていた白人官僚たちは、マンデ
ラが報復的な人事をするのではないかと恐れ、一部の者達はそれを見越して荷物をま
とめ始めていた。それに対しマンデラは、初登庁の日に職員たちを集めて「辞めるの
は自由だが、新しい南アフリカを作るために協力してほしい。あなたたちの協力が必
要だ」と呼びかけた。安堵した職員たちはマンデラのもとで働くこととなり、ボデ
ィーガードチームも予想に反して黒人と白人の混成チームとなった。

一方、南アフリカ代表のラグビーチーム「スプリングボクス」は当時低迷期にあり、
黒人選手もわずか1人という状況だった。ラグビーはアパルトヘイトの象徴として、
多数を占める黒人の国民のあいだでは非常に不人気なスポーツだった。政府内では
「スプリングボクス」のチーム名やユニフォームの変更を求める意見が多数を占めて
おり、一時はその方向で決まりかけていた。しかしマンデラはこのチームが南アフリ
カの白人と黒人の和解と団結の象徴になると考え、チーム名とユニフォームの存続を
求め周囲を説得し、一方でチームの主将フランソワ・ピナールを茶会に招いて言葉を
交わし、励ました。

その後スプリングボクスのメンバーたちは、マンデラの意向で貧困地区の黒人の子ど
もたちにラグビーの指導に赴く。当初それを不満に感じていたメンバー達も、一連の
地道な活動により、国民のあいだでチームの人気が少しずつ高まり、自分たちの存在
が国内のみならず世界的に注目されていることを知るに至った。
そしてスプリングボクスは、自国開催の1995年ラグビーワールドカップにおいて予想
外の快進撃を見せ、ついに決勝進出を果たす。今や新生南アフリカの象徴として見ら
れるようになったスプリングボクスは、全南アフリカ国民が見守る中、強豪ニュー
ジーランド代表オールブラックスとの決勝戦に臨む…。

当時の南アフリカ国内におけるラグビー[編集]当時南アフリカでは、英国発祥のラグ
ビーは白人もしくはある程度の地位を獲得した富裕層の行なうスポーツであるという
印象が強かった。また、ラグビーはルールが複雑であり、教育水準の低い貧困層の多
い黒人の間では受け入れられず、専らサッカーが主流のスポーツであった。劇中の冒
頭では、白人の観客は南アフリカを応援しているが黒人は敵のチーム(イングランド
代表)を応援しているシーンが描かれているほか、フェンスを一つ隔ててラグビーを
練習中の白人の若者と、裸足でサッカーに興じている黒人の子供、といった描写で対
比させている。

1990年代中頃、「国の恥」とまで言われるほどに当時の南アフリカラグビー代表のテ
ストマッチでの成績は悪かった。長く南アフリカが受けた経済制裁や、国際社会から
の追放の影響で国際試合の出場機会は無く、ラグビーワールドカップの第1回大会、
第2回大会にも不参加であり、チームは極端に弱体化していた。正確には世界ランキ
ングトップ10入りしている強豪ではあったものの、トップレベルの中では低い位置に
あり、ワールドカップ開催国であるにもかかわらず、優勝どころか決勝トーナメント
に進出するのも危ぶまれる状況であった。
また、代表チーム30人の選手はほとんどが白人であり、黒人のメンバーはチェス
ター・ウィリアムズ1人であったが、チェスターはスプリングボクス史上初の黒人選
手として、白人と黒人の融和の象徴となった。

劇中におけるアパルトヘイト[編集]アパルトヘイトという言葉がよく劇中に使用され
ている。意味は黒人・白人・その他の人種の混血を避けるため、それぞれの人種を隔
離・分離し、異人種間の結婚を認めないなどの人種隔離政策である。1948年に南アフ
リカ共和国で法律化、国際社会からの批判とともに、経済制裁、南アフリカとの貿易
封鎖など、国内経済の悪化が日増しに強くなるのを受け、1994年に人種隔離政策を撤
廃。これにより全人種が例外なく選挙権を享受するようになった。
本作品の冒頭では、1990年当時、道路を挟んで片方の整備されたグラウンドで富裕層
の白人たちがラグビーの練習している一方、もう片方の土のグランドでは貧困層の黒
人たちが裸足でサッカーをしている。両方のグランドには柵が設けており、互いに行
き来できないようにしてあるという、アパルトヘイトの象徴であるシーンから始ま
る。

南アフリカラグビー代表のユニフォームは金と緑を基調としており、通称はスプリン
グボクス(国内での愛称はボカ)と呼ばれていたが、マンデラ政権誕生と代表チーム
の国際テストマッチでの連敗を機会に、黒人代表者たちがスポーツ協会での会議で、
「チームカラーと愛称はアパルトヘイトの象徴である」との認識による変更を全会一
致で決定するシーンがある。そのときマンデラが登場し、黒人代表者たちに盛大に迎
え入れられるのだが、マンデラは「今まで我々は白人たちに脅かされた。しかし我々
は白人たちを協力する寛容の心で迎えるのだ」と会議参加者との意見の差異あるス
ピーチを行い、変更を阻止した。

劇中で読まれている詩[編集]劇中でマンデラが繰り返す「我が運命を決めるのは我な
り、我が魂を制するのは我なり」は、英国の詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリー
の詩「インビクタス」の一節。ヘンリーは幼少期に骨結核にかかり、十代で片足を切
断。この詩は不運にみまわれたわが身の魂の救済をもとめて書いたもの。どんな運命
にも負けない不屈の精神を詠っている。

モーガン・フリーマンとネルソン・マンデラ本人の関係[編集]ネルソン・マンデラの
自伝『自由への長い道』が出版された際、記者の「映画化されるとしたら誰に演じて
もらいたいか」との質問にマンデラはモーガン・フリーマンの名前を挙げた。それを
きっかけに、フリーマンは南アフリカのプロデューサーを通じてヨハネスブルグにあ
るマンデラの自宅への訪問を実現した。そしてフリーマンは自伝の映画化権を買い、
本作品の制作を決定した。
・・・・・・
あらすじを読むだけで心が熱くなります。今、夢中でこの映画を観ています。けっし
て誰のことも恨まずに、生きていくこと。戦わないけれど、譲らない強い気持ち。い
ろいろなことを考えています。実際に見せていただいて、やっぱり涙がとまりませ
ん。この映画に出会えてよかったなと心から思います。

かつこ
***
そしてマララさんの国連でのスピーチについても記事があります。以下に載せます。

***
小林さんが、マララさんの国連の演説を観てほしいとメールをくださいました。かお
りちゃんに訳してもらいながら、観ました。涙がぼろぼろこぼれました。
マララさんが国連で挨拶をされたユーチューブの日本語訳をみつけました。
全文は、http://www.huffingtonpost.jp/2013/07/12/malala_speech_n_3588163.html(http://www.huffingtonpost.jp/2013/07/12/malala_speech_n_3588163.html
・・・・・・
パキスタンで昨年10月、女子が教育を受ける権利を訴えて武装勢力に頭を撃たれたマ
ララ・ユスフザイさん(16)が12日午前(日本時間同日夜)、ニューヨークの国連本部で
演説し、「すべての子どもに教育を受ける権利の実現を」と訴えた。元気な姿ととも
に、銃撃されても信念を曲げず、教育を受けられない子どものための活動を続けると
世界にアピールした。朝日新聞デジタルが伝えた。

12日はマララさんの16歳の誕生日。国連はマララさんの取り組みや銃撃後の不屈の精
神をたたえて「マララ・デー」と名付け、世界各地の若者リーダーのほか、国連の潘
基文事務総長、国連世界教育特使のブラウン前英首相らによる会合を企画したと共同
通信は伝えている。
-☆☆-(長いので抜粋します。)
親愛なる少年少女のみなさんへ、つぎのことを決して忘れないでください。マララ・
デーは私一人のためにある日ではありません。今日は、自分の権利のために声を上げ
る、すべての女性たち、すべての少年少女たちのためにある日なのです。

何百人もの人権活動家、そしてソーシャルワーカーたちがいます。彼らは人権につい
て訴えるだけではなく、教育、平和、そして平等という目標を達成するために闘って
います。
何千もの人々がテロリストに命を奪われ、何百万もの人たちが傷つけられています。
私もその1人です。
そして、私はここに立っています。傷ついた数多くの人たちのなかの、一人の少女で
す。私は訴えます。自分自身のためではありません。すべての少年少女のためにで
す。私は声を上げます。といっても、声高に叫ぶ私の声を届けるためではありませ
ん。声が聞こえてこない「声なき人々」のためにです。それは、自分たちの権利のた
めに闘っている人たちのことです。平和に生活する権利、尊厳を持って扱われる権
利、均等な機会の権利、そして教育を受ける権利です。

親愛なるみなさん、2012年10月9日、タリバンは私の額の左側を銃で撃ちました。私
の友人も撃たれました。彼らは銃弾で私たちを黙らせようと考えたのです。でも失敗
しました。私たちが沈黙したそのとき、数えきれないほどの声が上がったのです。テ
ロリストたちは私たちの目的を変更させ、志を阻止しようと考えたのでしょう。しか
し、私の人生で変わったものは何一つありません。次のものを除いて、です。私の中
で弱さ、恐怖、絶望が死にました。強さ、力、そして勇気が生まれたのです。
私はこれまでと変わらず「マララ」のままです。そして、私の志もまったく変わりま
せん。私の希望も、夢もまったく変わっていないのです。

親愛なる少年少女のみなさん、私は誰にも抗議していません。タリバンや他のテロリ
ストグループへの個人的な復讐心から、ここでスピーチをしているわけでもありませ
ん。ここで話している目的は、すべての子どもたちに教育が与えられる権利をはっき
りと主張することにあります。すべての過激派、とりわけタリバンの息子や娘たちの
ために教育が必要だと思うのです。
私は、自分を撃ったタリバン兵士さえも憎んではいません。私が銃を手にして、彼が
私の前に立っていたとしても、私は彼を撃たないでしょう。
これは、私が預言者モハメッド、キリスト、ブッダから学んだ慈悲の心です。これ
は、マーティン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、そしてムハンマド・ア
リー・ジンナーから受け継がれた変革という財産なのです。これは、私がガン
ディー、バシャ・カーン、そしてマザー・テレサから学んだ非暴力という哲学なので
す。
そして、これは私の父と母から学んだ「許しの心」です。

まさに、私の魂が私に訴えてきます。「穏やかでいなさい、すべての人を愛しなさ
い」と。
親愛なる少年少女のみなさん、私たちは暗闇のなかにいると、光の大切さに気づきま
す。私たちは沈黙させられると、声を上げることの大切さに気づきます。同じよう
に、私たちがパキスタン北部のスワートにいて、銃を目にしたとき、ペンと本の大切
さに気づきました。
「ペンは剣よりも強し」ということわざがあります。これは真実です。過激派は本と
ペンを恐れます。教育の力が彼らを恐れさせます。彼らは女性を恐れています。女性
の声の力が彼らを恐れさせるのです。

だから彼らは、先日クエッタを攻撃したとき、14人の罪のない医学生を殺したので
す。
だから彼らは、多くの女性教師や、カイバル・パクトゥンクワやFATA(連邦直轄部族
地域/パキスタン北西部国境地帯)にいるポリオの研究者たちを殺害したのです。
だから彼らは、毎日学校を破壊するのです。なぜなら、彼らは、私たちが自分たちの
社会にもたらそうとした自由を、そして平等を恐れていたからです。そして彼らは、
今もそれを恐れているからです。
私たちの学校にいた少年に、あるジャーナリストがこんなことを尋ねていたのを覚え
ています。「なぜタリバンは教育に反対しているの?」。彼は自分の本を指さしなが
ら、とてもシンプルに答えました。「タリバンはこの本の中に書かれていることがわ
からないからだよ」

彼らは、神はちっぽけで取るに足りない、保守的な存在で、ただ学校に行っていると
いうだけで女の子たちを地獄に送っているのだと考えています。テロリストたちは、
イスラムの名を悪用し、パシュトゥン人社会を自分たちの個人的な利益のために悪用
しています。
パキスタンは平和を愛する民主的な国です。パシュトゥン人は自分たちの娘や息子に
教育を与えたいと思っています。イスラムは平和、慈悲、兄弟愛の宗教です。すべて
の子どもに教育を与えることは義務であり責任である、と言っています。

親愛なる国連事務総長、教育には平和が欠かせません。世界の多くの場所では、特に
パキスタンとアフガニスタンでは、テロリズム、戦争、紛争のせいで子どもたちは学
校に行けません。私たちは本当にこういった戦争にうんざりしています。女性と子ど
もは、世界の多くの場所で、さまざまな形で、被害を受けています。
インドでは、純真で恵まれない子どもたちが児童労働の犠牲者となっています。ナイ
ジェリアでは多くの学校が破壊されています。アフガニスタンでは人々が過激派の妨
害に長年苦しめられています。幼い少女は家で労働をさせられ、低年齢での結婚を強
要されます。
貧困、無学、不正、人種差別、そして基本的権利の剥奪──これらが、男女共に直面
している主な問題なのです。

親愛なるみなさん、本日、私は女性の権利と女の子の教育という点に絞ってお話しま
す。なぜなら、彼らがいちばん苦しめられているからです。かつては、女性の社会活
動家たちが、女性の権利の為に立ち上がってほしいと男の人たちに求めていました。
しかし今、私たちはそれを自分たちで行うのです。男の人たちに、女性の権利のため
に活動するのを止めてくれ、と言っているわけではありません。女性が自立し、自分
たちの力で闘うことに絞ってお話をしたいのです。
親愛なる少女、少年のみなさん、今こそ声に出して言う時です。そこで今日、私たち
は世界のリーダーたちに、平和と繁栄のために重点政策を変更してほしいと呼びかけ
ます。
世界のリーダーたちに、すべての和平協定が女性と子どもの権利を守るものでなけれ
ばならないと呼びかけます。

女性の尊厳と権利に反する政策は受け入れられるものではありません。
私たちはすべての政府に、全世界のすべての子どもたちへ無料の義務教育を確実に与
えることを求めます。
私たちはすべての政府に、テロリズムと暴力に立ち向かうことを求めます。残虐行為
や危害から子どもたちを守ることを求めます。
私たちは先進諸国に、発展途上国の女の子たちが教育を受ける機会を拡大するための
支援を求めます。
私たちはすべての地域社会に、寛容であることを求めます。カースト、教義、宗派、
皮膚の色、宗教、信条に基づいた偏見をなくすためです。女性の自由と平等を守れ
ば、その地域は繁栄するはずです。私たち女性の半数が抑えつけられていたら、成し
遂げることはできないでしょう。

私たちは世界中の女性たちに、勇敢になることを求めます。自分の中に込められた力
をしっかりと手に入れ、そして自分たちの最大限の可能性を発揮してほしいのです。
親愛なる少年少女のみなさん、私たちはすべての子どもたちの明るい未来のために、
学校と教育を求めます。私たちは、「平和」と「すべての人に教育を」という目的地
に到達するための旅を続けます。誰にも私たちを止めることはできません。私たち
は、自分たちの権利のために声を上げ、私たちの声を通じて変化をもたらします。自
分たちの言葉の力を、強さを信じましょう。私たちの言葉は世界を変えられるので
す。
なぜなら私たちは、教育という目標のために一つになり、連帯できるからです。そし
てこの目標を達成するために、知識という武器を持って力を持ちましょう。そして連
帯し、一つになって自分たちを守りましょう。

親愛なる少年少女のみなさん、私たちは今もなお何百万人もの人たちが貧困、不当な
扱い、そして無学に苦しめられていることを忘れてはいけません。何百万人もの子ど
もたちが学校に行っていないことを忘れてはいけません。少女たち、少年たちが明る
い、平和な未来を待ち望んでいることを忘れてはいけません。
無学、貧困、そしてテロリズムと闘いましょう。本を手に取り、ペンを握りましょ
う。それが私たちにとってもっとも強力な武器なのです。
1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。
教育こそがただ一つの解決策です。エデュケーション・ファースト(教育を第
一に)。ありがとうございました。
-☆☆-

マララ・ユスフザイさんは1997年7月12日、北部山岳地帯のスワート地区(マラカンド
県)に生まれた。父親のジアウディンさんは私立学校を経営する教育者で、マララさ
んもこの学校に通い、医者を目指していた。
同地はイスラム保守勢力が強く、07年には反政府勢力パキスタン・タリバーン運動
(TPP)が政府から統治権を奪い、09年まで実効支配している。イスラム過激派 のTPP
は女性の教育・就労権を認めず、この間、200以上の女子学校を爆破したという。
09年1月、当時11歳だったマララさんは、英BBC放送のウルドゥー語ブログに、こうし
たタリバーンの強権支配と女性の人権抑圧を告発する「パキスタン女子学生の日記」
を投稿。恐怖に脅えながらも、屈しない姿勢が多くの人々の共感を呼び、とりわけ
教育の機会を奪われた女性たちの希望の象徴となった。

同年、米ニューヨーク・タイムズも、タリバーン支配下でのマララさんの日常や訴え
を映像に収めた短編ドキュメンタリーを制作している。11年には、パキスタン政府か
ら第1回「国家平和賞」(18歳未満が対象)が与えられ、「国際子ども平和賞」(キッズ
ライツ財団選定)にもノミネートされた。
2012年10月9日、スクールバスで下校途中、武装集団に銃撃され重傷を負った。現地
で弾丸摘出手術を受けた後、イギリスの病院に移送され、一命をとりとめたが、15歳
の女子学生を狙い撃ちにしたテロ事件は、世界中に大きな衝撃を与えた。犯行声明を
出した反政府勢力パキスタン・タリバーン運動(TPP)は、教育権を求める女性の「反
道徳的」活動への報復であり、シャーリア(イスラム法)に基づくものとテロ行為を正
当化している。(コトバンク「マララ・ユスフザイ」より)

マララさんはノーベル平和賞候補に名前が挙がり、世界的に称賛の声が広がっている
が、TTPはマララさんがスワート地区に戻れば、再び命を狙うと宣言していると産経
新聞は伝えている。
・・・・・・
マララさんのスピーチ。英語がわからない私だけど、映像をみただけで、涙がぼろぼ
ろとこぼれました。訳してくれたかおりちゃんも泣いていました。マララさんのまっ
すぐな目が、恨むこともせずに、恐れずに、みんなが分けられることなく、幸せに生
きることはできるんだということを伝えてくださっているからなのでしょうか?

かつこ
***

この前の土曜日に近くのお寺で盆踊りがありました。ご住職が挨拶をされたときに言葉が印象的でした。『盆踊りは亡くなった私たちの祖先や親しい人たちを思い出しながら踊りましょう。それが供養になります。』というようなお話をされた。主人も私もご先祖様と一緒に踊っているような感じでなんだか涙が出そうになった。亡くなった人を思い出すだけではなくて今の平和に感謝しているというな気持ちもある。

お寺には日系人の方がたくさんいらっしゃる。日系人の方に直接話を聞いた訳ではないが、私たちが想像できないくらい精神的にも肉体的にも苦労をされたご先祖がいらっしゃるだろう。広島出身の日系人の方が第二次世界大戦でアメリカ軍が自分の祖国に原爆を投下したときにどんなに胸のつぶれるような思いがしただろう。日本人でありながらアメリカ軍とともに日本と戦った方達。アメリカでは差別や偏見に耐えた時代もあった。そういう歴史がバックグラウンドが私の脳裏をかすめる。戦争は絶対に駄目だと自信を持って言える。

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毎年盆踊りは本番前に週二回、計6回練習がある。花柳流の先生がきてくださって、みんなに踊り方を指導してくださる。凄く日本的な事をすべて英語でやるから面白い。毎年この盆踊りを楽しみにされているご近所の人種をとわない参加者が日系人や日本人に混ざって踊る。盆踊りを踊っているアメリカ人も不思議と日本的な仕草になって穏やかな感じになるのが面白い。本番は皆、浴衣や甚平やハッピ等を着る。とても楽しいイベント’です。今年は写真を撮るのを忘れたので去年の写真を載せます。






夏休みの1週間

2013/07/08 13:53 ジャンル: Category:未分類
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日本のなすび(こっちでも栽培してます)で麻婆なすを作った。

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太郎がおじいちゃんに教えてもらってドラゴンをいっぱい作った。絵は手伝ってもらうけど、はさみで切るのは自分でできるようだ。結構、器用だな。

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裏庭のプラムの木からプラムを収穫して煮詰めてジュースを作った

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お友達の家にお呼ばれでブルーベリーパイを作ってもっていった。

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義理の両親のところからレモンとトマトをもらった。トマトは太郎が全部食べてしまった。レモンはレモレードにした。

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太郎の顔の大きさくらいあるレモン。

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大きなレモン、半分に切るとこんな感じだった。皮が分厚いね。

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独立記念日にアーモンドパイを焼いた。焼きすぎた!

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パンも焼いてみた。全粒粉(ホールウィート)を全部の粉の量の半分混ぜても気温が高いとイーストの発酵も良くてよく膨らみました。

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太郎はアイランドを作った。よく見えないけど,インディアンのプリンスとプリンセスがいる。プリンセスは馬(鹿?)にのって弓をもっている。ポカホンタス2をみてつくりたくなったみたい。

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6歳になったので念願の空手デビューをした太郎。

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ギも買ってもらって来週からは本格的に習う。

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練習相手はやっぱりダディにお願いします。ジジも私もお断り。。。



















2013/07/04 14:02 ジャンル: Category:未分類
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もう,1ヶ月の前の事になるが幼稚園の最後の週は小学校も含めて仮装して学校に行く1週間というのがあった。月曜日はカーボウイ、火曜日は自分の好きな物になる。水曜日は学校のロゴのはいったTシャツ、木曜日はスポーツに関係のあるスタイル、金曜日はハワイアンだった。日本では考えられない。学校は遊びにいくところではないと躾けられた世代の私は私服でさえもあまり派手なものは着なかったと思う。それが,ここでは仮装!?まるでパーティーに行くみたいだなと朝から楽しい雰囲気だった。

太郎は昨年のハロウィンのときと同じ忍者になった。この衣装はなんと、ヒカルのお母さんのお母さん、つまり祖母の手作りの衣装。それを大事にしまってあって今は太郎が着せてもらっている。全部手縫いで丁寧に作られている。今度はヒカルの子供たちに,私たちの孫にまでとっておこうと思っている。孫たちも忍者が好きになるかな?

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これも幼稚園最後の週の最後のアートの時間に作った太郎の『ナイト(騎士)の戦い』太郎のクラスメートたちは針金を曲げるだけでもなかなかうまく行かず、また立体造形という事もありかなり悪戦苦闘してヘルプが必要だった。

しかし、ふだん勉強はからっきしダメな太郎であるがこのときは黙々と自分で作品を作って先生のところへもっていった。先生は凄くビックリした声を出して褒めちぎった!私も他の子供たちを手伝いながら横目で太郎の作品を見た。針金のナイトの動きがなかなかいいなと思った。このアートの時間は太郎がダントツ一番のできだった。なかなかこいつやるナ!と思った。私も美術,デザインの専門をかじっていたのでなかなか素直に褒めてやれない。母は結構心が狭くてまだまだ息子に負けるわけにはいかないと思っている。。。

なんだか最近,バークレーは暑くて霧が恋しくなってきた。明日は7月4日独立記念日だ。早くもどこかで花火の音がしている。12時過ぎにドン、パチと一斉に花火がなる前に寝ないと花火の音がうるさくて眠れない。

毎日暑いのであっさりしたものが食べたくなる。この前のせた浅漬けサラダにキムチの残りを少し混ぜたら、うん!これもなかなかいける!よろしければ試してくださいー。
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オーツとポテトのパンの作り方

2013/07/03 14:19 ジャンル: Category:未分類
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パンを作るのは気温が高い方がパンの生地が膨らみやすいのでいいと思います。暑いときが作り時と思って作っています。以下、アイリッシュ クッキング ブックからのレシピです。
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オーツとポテトのパン
材料)
植物油(パンの型に塗るための)*パンの型は13.5c×24c 高さ7cの1.5斤分の型です。
ジャガイモ2個
無漂白の強力粉3と2/3カップ *カップはアメリカのサイズ1カップ240ML

*全粒粉やライ麦粉等を混ぜたいときは全体の粉の量の粉の量1/3の量を混ぜるのが目安です。これらの粉を多く使うと発酵が遅くなります。発酵時間が過ぎても思うように膨らまないときは時間を延長してもいいです。あまり膨らまなくても好みですがそれはそれで違う風味が出て美味しいです。全部の粉を全粒粉で作ってみましたが少し重くなりますが私は結構好きでした。

塩 小さじ1と1/2
バター 大さじ3
アクティブ ドライ イースト 小さじ1と1/2
黒砂糖(未精製の砂糖でもいい) 大さじ1と1/2
ロールド オーツ(オートミール用に使う蒸してつぶして乾かした大麦)大さじ3
*オートミールの代わりに小麦胚芽なんかを入れても食感が変わって美味しいです。
ドライ スキムミルク(私は豆乳の粉かきな粉を使います)
だいたい40℃くらいのお湯1カップ
*私はローストした1/4カップのクルミの刻んだものとにんにく一片とリーク1本(ネギの大きいのもの)を炒めたもの1/2カップぐらいを混ぜました。
シンプルに何も入れないのも美味しいです。

作り方)
1)パンの型に植物油を塗る。もしくはベーキングシートを型にしく。

2)ジャガイモをゆでるか蒸して皮を向いてよくつぶす。ジャガイモがまだ暖かいうちにここにバターを混ぜておく。
3)大きなボールにお湯とジャガイモ以外の全部の材料を入れて混ぜておく。

4)粉類の入ったボールにまずジャガイモをいれて手で良く混ぜる。にんにくとリークの炒めたものはここで一緒に入れます。

5)さらにお湯を入れてよく混ぜてこねる。こねているうちにだんだん艶も出てきて手にもくっつきにくくなる。
5分から10分くらいこねてパンの生地がしっとりしてきたら出来上がり。もし、生地に水分が足りない又は多いときは水や粉を少し足して調整してください。アメリカは空気が乾燥しているのか水分を足す事がよくあります。クルミを入れるときはここで入れます。入れ方は生地を伸ばして半分の量のクルミを表面に散らばしてクルミを挟むように生地を半分に折って伸ばします。そしてまた生地を伸ばして半分の量のクルミを生地の表面に散らして生地を半分に折りクルミを挟むようにして生地を折りたたみます。その後も2回くらい生地を伸ばして二つにたたんでクルミを生地になじませてください。生地はこねないように!

6)油を塗ったボールに丸くしてとじ目を下にした生地を入れてラップをして暖かい場所に1時間ほど置いて発酵させます。もし、気温が低いときは大きな鍋にお湯を入れてその上にボールを置いて発酵を促進させるといいです。だいたい2倍くらいにふくれてきたら1時間以下の時間でもそこで次の作業に入ります。発酵しすぎるとパサパサしたパンになるので注意してください。
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こんな感じです。
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約2倍の大きさになったら発酵終了。

7)発酵した生地をとり出して粉をしいたまな板や台の上に置き優しく伸ばします。両側を少し巻き込んでそれから上の方から巻き込むように筒状に丸めて型に入れ込みます。型の端にも生地が入るように少し押し込みながらきっちりいれます。
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優しく伸ばして
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両側を巻き込み
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上の方から手前に巻き込んで

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最後までまきこんで

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とじ目は下にします。
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型に入れます。

8)型に入れた生地をまた暖かい場所で30分くらい発酵させます。
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気温が低いときは鍋やボールにお湯をいれてその上に型に入った生地をのせて発酵させます。

9)発酵したら30分以下の時間でも次ぎにいきます。パンの表面に水をハケで塗って(塗らなくてもいいですが塗ったら色つやがいいです)425°F(218.3℃だそうです。200℃より少し高めって感じ?)に暖めたオーブンに入れて25〜30分くらい焼きます。
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これくらい発酵すればいいです。

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ハケで表面に水を塗るときは押さえないように優しく塗ってください。

10)濃いきつね色に表面が焼けたら出来上がり!オーブンから取り出して型から出して木のまな板やラックに載せて冷まします。切れるくらいパンが冷めたら焼きたてを皆さんでどうぞ!スープやサラダを添えて夕食にパンというのもたまにはいいですね。
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きんこんの会 (たけ)ちゃんの想い

2013/07/02 15:14 ジャンル: Category:未分類
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バークレーも暑くなって2週間目です。今年は予想外に暑いかもとおもって温度計を観たら80°F(26℃くらい)でした。このくらいの温度で暑いなんて言っていたら日本にいる皆さんに笑われるなーと思っていたら、、、ベイエリアの外は100°F〜120°Fだったそうです。もう,夏はバークレーから出られないな。。。

私のブログでも紹介した事があるたけちゃんがきんこんの会に行かれた時のお話がかっこちゃんのメルマガに載っていました。今日はそれをご紹介します。ブログの(たけ)ちゃんと一緒(http://takechank.blog.fc2.com/)も是非ご覧ください。とても心が和んで幸せな気持ちになったり人の本当の優しさってこうなんだなーと思わせてくれる素敵なブログです。以下はメルマガのたけちゃんのお話です。

***
今日はしげちゃんの文字起こしで、きんこんの会での(たけ)ちゃんと一緒のたけ
ちゃんの言葉です。
・・・・・
こにしたけはる君:僕はきっと真面目な少年だと思うので、やっぱり真面目になりま
す。(笑)先生の声が変わるのは僕も知っていたけれど、まさかあんなに軽やかに一
気に変わるとは思わなかったので、驚くばかりですが、僕はやはり、姉の優しさや、
母の元気さの中で穏やかに育ったので、あまり大きな声というか、軽やかな声は出な
いだろうなと思っていたので、やはりそうでした。僕は、今日は、みんなに伝えたい
ことがたくさんあります。それは、僕の学校では、僕をみんなが、言葉が理解できて
いる、当たり前の子として受け入れて、いろいろな授業に入れてくれるようになった
し、先生たちの中には僕の言葉を聞き取ろうと、懸命になる人が出てきたので、僕が
授業中に発言できるのも近いという気がしています。

先生たちの中に本当にすごい人がいて、これは不思議なことなのですが、少し語弊と
いうのですか、語弊があったら申し訳ないのですが、じつは特別支援学級の先生が一
番わかってくれなかったというのが、悲しい事実でした。健常児のクラスの先生たち
は、懸命に僕の目を見て、なんとかわかろうとしてくれるのに、特別支援学級の先生
は、いつも来てくれる一人の先生を除いては、なかなか僕のそういう面を見ようとし
なかったのは、たぶん先生のひとりの個人の問題ではなくて、先生たちが先生の役割
を引き受けるときに、なにか間違った役割を引き受けさせられているのではないかと
いうのが、その結論です。

健常児の子どもたちを持っている先生たちは、日々元気な子どもたちの声に囲まれ
て、毎日が楽しくて仕方ない中で、僕と出会っているのですが、特別支援学級の先生
たちは、なにかとても重たいものを引き受けるかのようにして、僕たちを引き受けて
いるので、全く表情が違うのです。特別支援学級の先生の中には、とてもいい先生が
いるので、全部が全部ではないのですが、人の良さ悪さではなくて、役割が全然違う
のだなというふうに思えてしまいます。特別支援学級の先生は、重い荷物をしょっ
て、一生懸命になって、じつはすでに疲れてしまっている人が何人もいるのに対し
て、健常児の学級の先生は毎日が楽くて仕方ない人が大勢いて、毎日が楽しくて仕方
ないのは、本当にそうだなと思います。僕自身が、健常児の学級にいると、楽しくて
仕方ないからです。

友達と過ごすのも楽しいし、授業のひとつひとつが楽しくて仕方ないし、先生たちも
みんなを楽しませるために、たくさん工夫していて、ひとつのものを教えてくれるの
に、みんながわかるように、とても楽しく教えてくれるのですが、残念ながら特別支
援学級の先生たちは、楽しく教えることよりも、何か、社会性を身に付かなければい
けないとか、上から余計なことしか言われてないのではないかと思うくらい、楽しく
過ごすことに、抵抗というか、楽しく過ごせないまま、僕たちと付き合うのに、重荷
のような苦労を感じてしまっています。だから特別支援学級の先生の、個性がどうの
というよりも、特別支援学級という制度が、ひとりの先生を疲れさせているように見
えてならないのです。

だから僕は、これは、少し大胆すぎるかもしれないけれど、やはり、僕たちは健常児
と同じところに交わって、特別支援学級の先生は、僕たちのそばに生きる役割で、み
んなと楽しめばいいと思います。僕たちと付き合ってないときの先生は、じつはほか
の先生と何も変わるところがありません。だからその先生たちが健常児たちのクラス
を持ったら、きっと僕のことを懸命に受け入れてくれるのだろうと、不思議な感覚が
しています。だから僕は、早く健常児の子どもを見る目で、僕たちを見る当たり前の
時代が、来て欲しいと思っています。僕だけ本当に申し訳ないのですが、僕の学校は
今、僕を中心に変わっていると、校長先生が言ってくれました。

先週の月曜日、この大学の先生が、僕の学校にやって来ました。柴田先生のこともよ
く知っているのですが、うちの学校が、その先生が関わっている特別活動の実験指定
校になっていて、その校長先生と、その大学の先生は、とても親しくて、僕のことを
めぐって話を聞いたらしくて、きっと僕を中心に特別活動は変わっていくに違いない
と、柴田先生は言ったと、その先生が言っていました。みんなの前で。だから、僕の
学校では、僕を中心に特別活動を変えていくという流れができるかもしれません。そ
の先生もすごい先生でしたが、先生もすごいことを言ったものですね。僕を中心に特
別活動が変わるといつ言ったのか知らないけれど、そこまで言ってしまうのは驚きで
したが、それは本当で、僕をどうするかと考えると、みんな、何考えるのも真面目に
なって、僕を運動会でどう巻き込むか考えれば、なにかを一生懸命考えなければでき
ないことなので、先生たちは懸命に考えてくれ、僕のことを考えることは、他の子ど
もたちのことも考えることになるので、やはり最初の頃に排除はとてもこわいと言っ
たのは、本当のことです。

いま僕の学校では、僕を排除しないことによって、多くの発達障害と言われかねない
子どもたちもみんな楽しく暮らすことができています。そのことは、まだ誰も口にし
ていないのですが、僕にはよくわかります。僕を大事にする眼差しが、その子たちの
心を解きほぐしているからです。だからうちの学校では、きっと発達障害の子どもは
いなくなるはずです。そのくらい、僕たちに対する眼差しをどうするかで、他の子ど
もたちに対する眼差しが変わるわけだから、僕は自分ががんばって、健常児と学んで
いることが、みんなのためにもなっているので、今日、あらためて実感できて、少し
肩の荷が下りました。なぜなら僕ひとりの欲望のために、みんなを犠牲にしているの
かもしれないという思いが消えなかったからですが、みんなといっしょに学ぶという
ことが、みんなのためでもあると思えると、やはりお互いさまという感じで、気が楽
になりました。

でも、本当に、こんな恵まれている状況にあるのは僕だけなので、申し訳ないのです
が、僕は恵まれていることを活かすしかないと思っているので、僕はみなさんの通っ
た、イバラのような道を、少しイバラではなくなったので、歩けているだけですか
ら、みなさんが頑張った分、僕が頑張ればいいんだと思っています。そうすれば、僕
よりあとに続いてくる人はもっと楽に歩けるはずなので、僕もそういうリレーのよう
なものを大事にしたいと思っていますので。しかも今日は、あちこちで、僕たちの存
在が、世の中を変えるとまで聞いたので、僕の学校で起こっていることは、そういう
ことなのだということがよくわかりました。僕の学校では、僕を中心に、特別活動が
回っているということになるので、ぜひそれは、世の中の人たちにわかってもらいた
いと思っています。以上です。

今日はこのことが言いたかったので、全部言えてよかったです。本当に幸せな毎日を
送っています。お母さんが毎日ブログに書いているので、ぜひ見てください。(笑)
お母さんも、もううれしくて仕方ないという感じで、最近は、うちの周りの人たち
も、僕のことを見ても、堂々と声をかけられるようになったのは、僕らが卑屈になっ
ていると、声をかける人も困るのですが、僕たちが、堂々としていさえすれば、堂々
と声をかけてくれるので、僕も堂々と生きていこうといま一生懸命思っているところ
です。以上です。(拍手)
・・・・・



プロフィール

お多福ちゃん

Author:お多福ちゃん
ゆかり マッカーシー 2006年
結婚を機にアメリカ カリフォルニア バークレーに住む。 山元加津子さんの「白雪姫プロジェクト」に賛同し応援するために苦手なPCと向き合いブログを始める。下の「白雪姫プロジェクト」をクリックしてください!

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