バークレイ お多福

2013/07/16 15:04 ジャンル: Category:未分類
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山元加津子さん、かっこちゃんのメルマガにとてもいいお話が載っています。多くの方に読んでいただきたいのでまた宣伝させてください。

山元加津子さんのメルマガは http://shirayukihime-project.net/kokorono-kakehashi.htmlです。

かっこちゃんは8月の夏休みの旅行に南アフリカに行かれるそうです。そしてアパルトヘイトの事やネルソンマンデラ氏のことをメルマガに載せてくださいました。以下その記事です。
***
南アフリカへの旅が近くなってきて、マンデラ大統領のことを、今、ものすごく知り
たいです。マンデラ大統領の映画を紹介します。
・・・・・・
「マンデラ名もなき看守」あらすじhttp://movie.walkerplus.com/mv37092/ より
1968年、南アフリカ共和国。アパルトヘイト政策により、黒人には投票権がなく、住
居や就職、教育でも差別されていた時代。ジェームズ・グレゴリー(ジョセフ・ファ
インズ)は、国内一の刑務所と名高いロベン島に看守として赴任する。そこで彼は反
政府運動の首謀者ネルソン・マンデラ(デニス・ヘイスバート)の担当を命じられ
る。コーサ語を話せるグレゴリーに、黒人たちの秘密の会話をスパイさせることがそ
の狙いだった。妻グロリア(ダイアン・クルーガー)とともに異例の出世を喜んでい
た人種差別主義者のグレゴリーだったが、刑務所内でも堂々と振舞うマンデラの姿に
特別な印象を抱く。

しかし、面会に来た夫人とマンデラの会話をグレゴリーが上司に報告したことで、彼
の息子が暗殺される。普段の落ち着きが嘘のように息子の死を悲しむマンデラの姿
に、同じ父親としてグレゴリーは深く同情。そして、グレゴリーの中で、“危険なテ
ロリスト”というマンデラに対するイメージが次第に覆され、“人種を超えて平和に
暮らせる世界”を目指すというその思想に共感していく。1975年のクリスマス。グレ
ゴリーは、二年ぶりに面会する妻に贈りものを渡したいというマンデラの願いを聞き
入れる。しかし、その行動は大きな問題となり、黒人びいきと罵られたグレゴリーの
一家は孤立。彼は転属を願い出て、マンデラの元を去る。

1982年、マンデラの長期投獄に反対する世界中の圧力に屈した政府は、彼をポールス
ムーア刑務所に移送する。グレゴリーはそこで再びマンデラの担当となり、二人は再
会。しかし、もはやグレゴリーは無教養な人種差別主義者ではなかった。武装闘争が
激化する中、南アフリカは真っ二つに割れる。“黒人びいきの子供は殺す”と脅され
るグロリア。それでもグレゴリーは、マンデラの輝く瞳の中に未来と希望を見出して
いた……。

・・・・・・
インビクタス/負けざる者たち 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『インビクタス/負けざる者たち』(原題:Invictus)は、2009年のアメリカ映画で
ある。インビクタスとは、「征服されない」「屈服しない」など、不屈を表すラテン
語。
ストーリー[編集]舞台は1994年の南アフリカ共和国。ネルソン・マンデラは反体制活
動家として27年ものあいだ投獄されていたが、1990年に釈放されこの年に同国初の黒
人大統領となった。それまで政府の主要ポストを占めていた白人官僚たちは、マンデ
ラが報復的な人事をするのではないかと恐れ、一部の者達はそれを見越して荷物をま
とめ始めていた。それに対しマンデラは、初登庁の日に職員たちを集めて「辞めるの
は自由だが、新しい南アフリカを作るために協力してほしい。あなたたちの協力が必
要だ」と呼びかけた。安堵した職員たちはマンデラのもとで働くこととなり、ボデ
ィーガードチームも予想に反して黒人と白人の混成チームとなった。

一方、南アフリカ代表のラグビーチーム「スプリングボクス」は当時低迷期にあり、
黒人選手もわずか1人という状況だった。ラグビーはアパルトヘイトの象徴として、
多数を占める黒人の国民のあいだでは非常に不人気なスポーツだった。政府内では
「スプリングボクス」のチーム名やユニフォームの変更を求める意見が多数を占めて
おり、一時はその方向で決まりかけていた。しかしマンデラはこのチームが南アフリ
カの白人と黒人の和解と団結の象徴になると考え、チーム名とユニフォームの存続を
求め周囲を説得し、一方でチームの主将フランソワ・ピナールを茶会に招いて言葉を
交わし、励ました。

その後スプリングボクスのメンバーたちは、マンデラの意向で貧困地区の黒人の子ど
もたちにラグビーの指導に赴く。当初それを不満に感じていたメンバー達も、一連の
地道な活動により、国民のあいだでチームの人気が少しずつ高まり、自分たちの存在
が国内のみならず世界的に注目されていることを知るに至った。
そしてスプリングボクスは、自国開催の1995年ラグビーワールドカップにおいて予想
外の快進撃を見せ、ついに決勝進出を果たす。今や新生南アフリカの象徴として見ら
れるようになったスプリングボクスは、全南アフリカ国民が見守る中、強豪ニュー
ジーランド代表オールブラックスとの決勝戦に臨む…。

当時の南アフリカ国内におけるラグビー[編集]当時南アフリカでは、英国発祥のラグ
ビーは白人もしくはある程度の地位を獲得した富裕層の行なうスポーツであるという
印象が強かった。また、ラグビーはルールが複雑であり、教育水準の低い貧困層の多
い黒人の間では受け入れられず、専らサッカーが主流のスポーツであった。劇中の冒
頭では、白人の観客は南アフリカを応援しているが黒人は敵のチーム(イングランド
代表)を応援しているシーンが描かれているほか、フェンスを一つ隔ててラグビーを
練習中の白人の若者と、裸足でサッカーに興じている黒人の子供、といった描写で対
比させている。

1990年代中頃、「国の恥」とまで言われるほどに当時の南アフリカラグビー代表のテ
ストマッチでの成績は悪かった。長く南アフリカが受けた経済制裁や、国際社会から
の追放の影響で国際試合の出場機会は無く、ラグビーワールドカップの第1回大会、
第2回大会にも不参加であり、チームは極端に弱体化していた。正確には世界ランキ
ングトップ10入りしている強豪ではあったものの、トップレベルの中では低い位置に
あり、ワールドカップ開催国であるにもかかわらず、優勝どころか決勝トーナメント
に進出するのも危ぶまれる状況であった。
また、代表チーム30人の選手はほとんどが白人であり、黒人のメンバーはチェス
ター・ウィリアムズ1人であったが、チェスターはスプリングボクス史上初の黒人選
手として、白人と黒人の融和の象徴となった。

劇中におけるアパルトヘイト[編集]アパルトヘイトという言葉がよく劇中に使用され
ている。意味は黒人・白人・その他の人種の混血を避けるため、それぞれの人種を隔
離・分離し、異人種間の結婚を認めないなどの人種隔離政策である。1948年に南アフ
リカ共和国で法律化、国際社会からの批判とともに、経済制裁、南アフリカとの貿易
封鎖など、国内経済の悪化が日増しに強くなるのを受け、1994年に人種隔離政策を撤
廃。これにより全人種が例外なく選挙権を享受するようになった。
本作品の冒頭では、1990年当時、道路を挟んで片方の整備されたグラウンドで富裕層
の白人たちがラグビーの練習している一方、もう片方の土のグランドでは貧困層の黒
人たちが裸足でサッカーをしている。両方のグランドには柵が設けており、互いに行
き来できないようにしてあるという、アパルトヘイトの象徴であるシーンから始ま
る。

南アフリカラグビー代表のユニフォームは金と緑を基調としており、通称はスプリン
グボクス(国内での愛称はボカ)と呼ばれていたが、マンデラ政権誕生と代表チーム
の国際テストマッチでの連敗を機会に、黒人代表者たちがスポーツ協会での会議で、
「チームカラーと愛称はアパルトヘイトの象徴である」との認識による変更を全会一
致で決定するシーンがある。そのときマンデラが登場し、黒人代表者たちに盛大に迎
え入れられるのだが、マンデラは「今まで我々は白人たちに脅かされた。しかし我々
は白人たちを協力する寛容の心で迎えるのだ」と会議参加者との意見の差異あるス
ピーチを行い、変更を阻止した。

劇中で読まれている詩[編集]劇中でマンデラが繰り返す「我が運命を決めるのは我な
り、我が魂を制するのは我なり」は、英国の詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリー
の詩「インビクタス」の一節。ヘンリーは幼少期に骨結核にかかり、十代で片足を切
断。この詩は不運にみまわれたわが身の魂の救済をもとめて書いたもの。どんな運命
にも負けない不屈の精神を詠っている。

モーガン・フリーマンとネルソン・マンデラ本人の関係[編集]ネルソン・マンデラの
自伝『自由への長い道』が出版された際、記者の「映画化されるとしたら誰に演じて
もらいたいか」との質問にマンデラはモーガン・フリーマンの名前を挙げた。それを
きっかけに、フリーマンは南アフリカのプロデューサーを通じてヨハネスブルグにあ
るマンデラの自宅への訪問を実現した。そしてフリーマンは自伝の映画化権を買い、
本作品の制作を決定した。
・・・・・・
あらすじを読むだけで心が熱くなります。今、夢中でこの映画を観ています。けっし
て誰のことも恨まずに、生きていくこと。戦わないけれど、譲らない強い気持ち。い
ろいろなことを考えています。実際に見せていただいて、やっぱり涙がとまりませ
ん。この映画に出会えてよかったなと心から思います。

かつこ
***
そしてマララさんの国連でのスピーチについても記事があります。以下に載せます。

***
小林さんが、マララさんの国連の演説を観てほしいとメールをくださいました。かお
りちゃんに訳してもらいながら、観ました。涙がぼろぼろこぼれました。
マララさんが国連で挨拶をされたユーチューブの日本語訳をみつけました。
全文は、http://www.huffingtonpost.jp/2013/07/12/malala_speech_n_3588163.html(http://www.huffingtonpost.jp/2013/07/12/malala_speech_n_3588163.html
・・・・・・
パキスタンで昨年10月、女子が教育を受ける権利を訴えて武装勢力に頭を撃たれたマ
ララ・ユスフザイさん(16)が12日午前(日本時間同日夜)、ニューヨークの国連本部で
演説し、「すべての子どもに教育を受ける権利の実現を」と訴えた。元気な姿ととも
に、銃撃されても信念を曲げず、教育を受けられない子どものための活動を続けると
世界にアピールした。朝日新聞デジタルが伝えた。

12日はマララさんの16歳の誕生日。国連はマララさんの取り組みや銃撃後の不屈の精
神をたたえて「マララ・デー」と名付け、世界各地の若者リーダーのほか、国連の潘
基文事務総長、国連世界教育特使のブラウン前英首相らによる会合を企画したと共同
通信は伝えている。
-☆☆-(長いので抜粋します。)
親愛なる少年少女のみなさんへ、つぎのことを決して忘れないでください。マララ・
デーは私一人のためにある日ではありません。今日は、自分の権利のために声を上げ
る、すべての女性たち、すべての少年少女たちのためにある日なのです。

何百人もの人権活動家、そしてソーシャルワーカーたちがいます。彼らは人権につい
て訴えるだけではなく、教育、平和、そして平等という目標を達成するために闘って
います。
何千もの人々がテロリストに命を奪われ、何百万もの人たちが傷つけられています。
私もその1人です。
そして、私はここに立っています。傷ついた数多くの人たちのなかの、一人の少女で
す。私は訴えます。自分自身のためではありません。すべての少年少女のためにで
す。私は声を上げます。といっても、声高に叫ぶ私の声を届けるためではありませ
ん。声が聞こえてこない「声なき人々」のためにです。それは、自分たちの権利のた
めに闘っている人たちのことです。平和に生活する権利、尊厳を持って扱われる権
利、均等な機会の権利、そして教育を受ける権利です。

親愛なるみなさん、2012年10月9日、タリバンは私の額の左側を銃で撃ちました。私
の友人も撃たれました。彼らは銃弾で私たちを黙らせようと考えたのです。でも失敗
しました。私たちが沈黙したそのとき、数えきれないほどの声が上がったのです。テ
ロリストたちは私たちの目的を変更させ、志を阻止しようと考えたのでしょう。しか
し、私の人生で変わったものは何一つありません。次のものを除いて、です。私の中
で弱さ、恐怖、絶望が死にました。強さ、力、そして勇気が生まれたのです。
私はこれまでと変わらず「マララ」のままです。そして、私の志もまったく変わりま
せん。私の希望も、夢もまったく変わっていないのです。

親愛なる少年少女のみなさん、私は誰にも抗議していません。タリバンや他のテロリ
ストグループへの個人的な復讐心から、ここでスピーチをしているわけでもありませ
ん。ここで話している目的は、すべての子どもたちに教育が与えられる権利をはっき
りと主張することにあります。すべての過激派、とりわけタリバンの息子や娘たちの
ために教育が必要だと思うのです。
私は、自分を撃ったタリバン兵士さえも憎んではいません。私が銃を手にして、彼が
私の前に立っていたとしても、私は彼を撃たないでしょう。
これは、私が預言者モハメッド、キリスト、ブッダから学んだ慈悲の心です。これ
は、マーティン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、そしてムハンマド・ア
リー・ジンナーから受け継がれた変革という財産なのです。これは、私がガン
ディー、バシャ・カーン、そしてマザー・テレサから学んだ非暴力という哲学なので
す。
そして、これは私の父と母から学んだ「許しの心」です。

まさに、私の魂が私に訴えてきます。「穏やかでいなさい、すべての人を愛しなさ
い」と。
親愛なる少年少女のみなさん、私たちは暗闇のなかにいると、光の大切さに気づきま
す。私たちは沈黙させられると、声を上げることの大切さに気づきます。同じよう
に、私たちがパキスタン北部のスワートにいて、銃を目にしたとき、ペンと本の大切
さに気づきました。
「ペンは剣よりも強し」ということわざがあります。これは真実です。過激派は本と
ペンを恐れます。教育の力が彼らを恐れさせます。彼らは女性を恐れています。女性
の声の力が彼らを恐れさせるのです。

だから彼らは、先日クエッタを攻撃したとき、14人の罪のない医学生を殺したので
す。
だから彼らは、多くの女性教師や、カイバル・パクトゥンクワやFATA(連邦直轄部族
地域/パキスタン北西部国境地帯)にいるポリオの研究者たちを殺害したのです。
だから彼らは、毎日学校を破壊するのです。なぜなら、彼らは、私たちが自分たちの
社会にもたらそうとした自由を、そして平等を恐れていたからです。そして彼らは、
今もそれを恐れているからです。
私たちの学校にいた少年に、あるジャーナリストがこんなことを尋ねていたのを覚え
ています。「なぜタリバンは教育に反対しているの?」。彼は自分の本を指さしなが
ら、とてもシンプルに答えました。「タリバンはこの本の中に書かれていることがわ
からないからだよ」

彼らは、神はちっぽけで取るに足りない、保守的な存在で、ただ学校に行っていると
いうだけで女の子たちを地獄に送っているのだと考えています。テロリストたちは、
イスラムの名を悪用し、パシュトゥン人社会を自分たちの個人的な利益のために悪用
しています。
パキスタンは平和を愛する民主的な国です。パシュトゥン人は自分たちの娘や息子に
教育を与えたいと思っています。イスラムは平和、慈悲、兄弟愛の宗教です。すべて
の子どもに教育を与えることは義務であり責任である、と言っています。

親愛なる国連事務総長、教育には平和が欠かせません。世界の多くの場所では、特に
パキスタンとアフガニスタンでは、テロリズム、戦争、紛争のせいで子どもたちは学
校に行けません。私たちは本当にこういった戦争にうんざりしています。女性と子ど
もは、世界の多くの場所で、さまざまな形で、被害を受けています。
インドでは、純真で恵まれない子どもたちが児童労働の犠牲者となっています。ナイ
ジェリアでは多くの学校が破壊されています。アフガニスタンでは人々が過激派の妨
害に長年苦しめられています。幼い少女は家で労働をさせられ、低年齢での結婚を強
要されます。
貧困、無学、不正、人種差別、そして基本的権利の剥奪──これらが、男女共に直面
している主な問題なのです。

親愛なるみなさん、本日、私は女性の権利と女の子の教育という点に絞ってお話しま
す。なぜなら、彼らがいちばん苦しめられているからです。かつては、女性の社会活
動家たちが、女性の権利の為に立ち上がってほしいと男の人たちに求めていました。
しかし今、私たちはそれを自分たちで行うのです。男の人たちに、女性の権利のため
に活動するのを止めてくれ、と言っているわけではありません。女性が自立し、自分
たちの力で闘うことに絞ってお話をしたいのです。
親愛なる少女、少年のみなさん、今こそ声に出して言う時です。そこで今日、私たち
は世界のリーダーたちに、平和と繁栄のために重点政策を変更してほしいと呼びかけ
ます。
世界のリーダーたちに、すべての和平協定が女性と子どもの権利を守るものでなけれ
ばならないと呼びかけます。

女性の尊厳と権利に反する政策は受け入れられるものではありません。
私たちはすべての政府に、全世界のすべての子どもたちへ無料の義務教育を確実に与
えることを求めます。
私たちはすべての政府に、テロリズムと暴力に立ち向かうことを求めます。残虐行為
や危害から子どもたちを守ることを求めます。
私たちは先進諸国に、発展途上国の女の子たちが教育を受ける機会を拡大するための
支援を求めます。
私たちはすべての地域社会に、寛容であることを求めます。カースト、教義、宗派、
皮膚の色、宗教、信条に基づいた偏見をなくすためです。女性の自由と平等を守れ
ば、その地域は繁栄するはずです。私たち女性の半数が抑えつけられていたら、成し
遂げることはできないでしょう。

私たちは世界中の女性たちに、勇敢になることを求めます。自分の中に込められた力
をしっかりと手に入れ、そして自分たちの最大限の可能性を発揮してほしいのです。
親愛なる少年少女のみなさん、私たちはすべての子どもたちの明るい未来のために、
学校と教育を求めます。私たちは、「平和」と「すべての人に教育を」という目的地
に到達するための旅を続けます。誰にも私たちを止めることはできません。私たち
は、自分たちの権利のために声を上げ、私たちの声を通じて変化をもたらします。自
分たちの言葉の力を、強さを信じましょう。私たちの言葉は世界を変えられるので
す。
なぜなら私たちは、教育という目標のために一つになり、連帯できるからです。そし
てこの目標を達成するために、知識という武器を持って力を持ちましょう。そして連
帯し、一つになって自分たちを守りましょう。

親愛なる少年少女のみなさん、私たちは今もなお何百万人もの人たちが貧困、不当な
扱い、そして無学に苦しめられていることを忘れてはいけません。何百万人もの子ど
もたちが学校に行っていないことを忘れてはいけません。少女たち、少年たちが明る
い、平和な未来を待ち望んでいることを忘れてはいけません。
無学、貧困、そしてテロリズムと闘いましょう。本を手に取り、ペンを握りましょ
う。それが私たちにとってもっとも強力な武器なのです。
1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。
教育こそがただ一つの解決策です。エデュケーション・ファースト(教育を第
一に)。ありがとうございました。
-☆☆-

マララ・ユスフザイさんは1997年7月12日、北部山岳地帯のスワート地区(マラカンド
県)に生まれた。父親のジアウディンさんは私立学校を経営する教育者で、マララさ
んもこの学校に通い、医者を目指していた。
同地はイスラム保守勢力が強く、07年には反政府勢力パキスタン・タリバーン運動
(TPP)が政府から統治権を奪い、09年まで実効支配している。イスラム過激派 のTPP
は女性の教育・就労権を認めず、この間、200以上の女子学校を爆破したという。
09年1月、当時11歳だったマララさんは、英BBC放送のウルドゥー語ブログに、こうし
たタリバーンの強権支配と女性の人権抑圧を告発する「パキスタン女子学生の日記」
を投稿。恐怖に脅えながらも、屈しない姿勢が多くの人々の共感を呼び、とりわけ
教育の機会を奪われた女性たちの希望の象徴となった。

同年、米ニューヨーク・タイムズも、タリバーン支配下でのマララさんの日常や訴え
を映像に収めた短編ドキュメンタリーを制作している。11年には、パキスタン政府か
ら第1回「国家平和賞」(18歳未満が対象)が与えられ、「国際子ども平和賞」(キッズ
ライツ財団選定)にもノミネートされた。
2012年10月9日、スクールバスで下校途中、武装集団に銃撃され重傷を負った。現地
で弾丸摘出手術を受けた後、イギリスの病院に移送され、一命をとりとめたが、15歳
の女子学生を狙い撃ちにしたテロ事件は、世界中に大きな衝撃を与えた。犯行声明を
出した反政府勢力パキスタン・タリバーン運動(TPP)は、教育権を求める女性の「反
道徳的」活動への報復であり、シャーリア(イスラム法)に基づくものとテロ行為を正
当化している。(コトバンク「マララ・ユスフザイ」より)

マララさんはノーベル平和賞候補に名前が挙がり、世界的に称賛の声が広がっている
が、TTPはマララさんがスワート地区に戻れば、再び命を狙うと宣言していると産経
新聞は伝えている。
・・・・・・
マララさんのスピーチ。英語がわからない私だけど、映像をみただけで、涙がぼろぼ
ろとこぼれました。訳してくれたかおりちゃんも泣いていました。マララさんのまっ
すぐな目が、恨むこともせずに、恐れずに、みんなが分けられることなく、幸せに生
きることはできるんだということを伝えてくださっているからなのでしょうか?

かつこ
***

この前の土曜日に近くのお寺で盆踊りがありました。ご住職が挨拶をされたときに言葉が印象的でした。『盆踊りは亡くなった私たちの祖先や親しい人たちを思い出しながら踊りましょう。それが供養になります。』というようなお話をされた。主人も私もご先祖様と一緒に踊っているような感じでなんだか涙が出そうになった。亡くなった人を思い出すだけではなくて今の平和に感謝しているというな気持ちもある。

お寺には日系人の方がたくさんいらっしゃる。日系人の方に直接話を聞いた訳ではないが、私たちが想像できないくらい精神的にも肉体的にも苦労をされたご先祖がいらっしゃるだろう。広島出身の日系人の方が第二次世界大戦でアメリカ軍が自分の祖国に原爆を投下したときにどんなに胸のつぶれるような思いがしただろう。日本人でありながらアメリカ軍とともに日本と戦った方達。アメリカでは差別や偏見に耐えた時代もあった。そういう歴史がバックグラウンドが私の脳裏をかすめる。戦争は絶対に駄目だと自信を持って言える。

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毎年盆踊りは本番前に週二回、計6回練習がある。花柳流の先生がきてくださって、みんなに踊り方を指導してくださる。凄く日本的な事をすべて英語でやるから面白い。毎年この盆踊りを楽しみにされているご近所の人種をとわない参加者が日系人や日本人に混ざって踊る。盆踊りを踊っているアメリカ人も不思議と日本的な仕草になって穏やかな感じになるのが面白い。本番は皆、浴衣や甚平やハッピ等を着る。とても楽しいイベント’です。今年は写真を撮るのを忘れたので去年の写真を載せます。





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プロフィール

お多福ちゃん

Author:お多福ちゃん
ゆかり マッカーシー 2006年
結婚を機にアメリカ カリフォルニア バークレーに住む。 山元加津子さんの「白雪姫プロジェクト」に賛同し応援するために苦手なPCと向き合いブログを始める。下の「白雪姫プロジェクト」をクリックしてください!

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