バークレイ お多福

理想の社会とは

2015/08/11 07:59 ジャンル: Category:未分類
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近所のお寺は浄土真宗東本願寺大谷派。これは私の父の家の代々の仏教らしい。アメリカで近所にそのお寺があるなんてすごい縁だなとはじめは思った。主人も他界された奥さんと次男がこのお寺でお世話になった。そんな偶然も重なり主人と私の結婚式はここで行ったのがもう9年前になる。

日曜日の朝にお寺に話を聞きに行ったりバザーやイベントのお手伝いをしてお寺の人たちとも仲良くなって、ご縁があって私は住職に日本語を教えている。教えているようで実は一緒に勉強させてもらっているのが本当のところです。

お寺に行っているけれど真宗の教えについてはさっぱりわからないことだらけ。お寺の本棚にたくさんの日本語の仏教関係の本があるので住職に借りてもいいかと尋ねたら、どうぞどうぞ、読むひとはだれもいないのでということだった。ここでは日本語の本を読むひとがいないに等しい。日系人も3世になると英語しか話せない読めないひとが多い。ということで3、4冊早速借りてみて読んで驚いた!知らないことだれけ!

私は小川一乗さんの書かれたものを好んで借りた。この方が書かれた新聞の記事を以前読んで名前覚えていたからだ。『寺をひらく』というご著書のなかに”理想の社会とは”というのがあった。その項目を読んでいくうちに私は大変共感し、なっとこできることがあったのでここに紹介したいと思います。
***
 いのちの平等という思想はこれから主張していかなければならない大きな課題ですけれども、残念ながら現在まではそうではない。やはり西欧において成立した合理主義によって人間の命が左右されているのが今の現状です。
 先程、最初に申しましたように、男女の産み分けであるとか、身体障害になるような胎児はうまないとか、そういったところで命の誕生が、生きている人間の都合で決められている。ですから、身体の不自由な胎児や障害のある胎児は生まれる前に排除されています。そして死ぬということも、役に立たないものはどんどん排除していって、役に立つもののために役立てようという(臓器移植などの話)、そういう合理主義が人間の命というものを支配しています。そしてそういうな中で、いいものだけを残していく。そしていいものだけが残ったところに理想的な社会ができるんだという考え方が合理主義です。
 しかし、仏教はそういう世界を理想社会とは言わないのです。仏教はどんな生まれであろうが、或いはからだに障害があろうが、脳に障害があろうがその人たちがお互いに人間として同等に生きられる社会をつくっていく。縁のままにいただいた命を生き切っていく、そういう社会を作っていくというのが仏教の理想です。
 だから西欧の合理主義における理想的な社会と仏教における理想的な社会とは全く違うわけです。都合の悪いものは排除して、都合の良いものだけを残すのがいい社会だというのが合理主義です。むかし、あるタレントさんが『りんご箱に腐ったりんごが1つあったら、全部腐るから、腐ったりんごを排除したらいいんだ』という発言をして大変なひんしゅくをかったことがあります。なぜならば、どのりんごも最後にはみんな腐るのです。差別したものは必ず差別されるのです。そのことがわかっていなかったのですね、その人は。差別をすれば必ず差別されていく。それが合理主義の世界です。それは都合のいいものだけを残して、都合の悪いものは排除していくという発想です。わたしたちも近代の学問、近代の知性を教えられていますから、どうしてもその発想に陥ります。都合のいいものだけあったらいいなあと。日本でも古くから『福はうち、鬼は外』というのがあります。しかし、仏教では違います。『福もうち、鬼もうち』なんです。そこに本当の世界があるのです。
 ですからはからずもの縁によって体の不自由なうまれをした人も、はからずもの縁によって脳に障害のある人も、はからずもの縁によって健常にうまれた人も、みんな手を取り合って生きる。そういう世界を仏教では理想としているということです。
 このことについては、仏教ということとは全然関係なしに、そういうことが大事だということを教えてくれた先生がおりまして、熊本大学の水俣病に長く関わってきた医者で、原田正純という先生がいます。大谷大学の同窓会が主催したシンポジウムが熊本で開かれましたその時に、その原田先生と私でシンポジウムを行ったのです、そのときに原田先生は言っていました。ベトナムではベトナム戦争のときにアメリカ軍によって枯れ葉剤がまかれて、身体に障害のあるある子供がいっぱい生まれました。
 それで先生がその調査のためにベトナムへ行ったときに『日本には体内にいる赤ちゃんを見分ける機械ができている。それを是非欲しい』と言われた。なぜ欲しいのかと聞くと。『枯れ葉剤の影響でどうしても奇形児がうまれる。だから奇形児だとわかったら排除したい。奇形児がうまれないで正常な子供だけ生まれることを見分けるためにその機械がほしい。』と言ったと。それで先生は、『その機械を買って送ることぐらいは簡単だけれどども、その話をきいてたらとても送れない。そんなことのために使うということがわかっていながらその機械を送ることができなかった』と。
 生きている人間の都合で、そういう生まれについて都合よく分けていくということは、本当にいいことなのだろうか。それが医学がしていいことなのだろうか、そのことに非常に深い疑問を持ったというんですね。
 またこういう話もされました。水俣病で二十歳で亡くなった娘さんのことですけれども、その娘さんは生まれてから20年間”あ”とか”う”とかしか言えないで、寝たきりの生涯を閉じられた。しかし、その娘さんが生まれたことによって、おかあさんのなかにあった公害の毒素といいましょうか、水俣病になる毒素をその娘さんが吸い取ってしまったのです。そのおかげでお母さんは健在なのです。そのご、二番目三番目と子供さんが生まれましたが、後に生まれた子供さんは達は健常に生まれて、その長女の娘さんだけが水俣病で”あ”とか”う”とかしかいえない中で、20年間の命を終えていった。
 そのお母さんは、『この子が私の毒素を全部吸い取ってくれた』と言って。死ぬまでそれこそ本当に感謝しながらその娘さんの世話をした。後から生まれたお子さんも『お姉さんのおかげ』といって、看病するのを厭わないで進んで看病した。その子の20年間は生きている価値がなかったのだろうか。原田先生は『ものすごく価値がある。』というわけです。
 胎内にいるときからその子を排除していたら。優しいいたわりとか、感謝とか、そういったものは子供さんやお母さんの中に出てきません。その娘さんを看病していくということは、大変な苦労でしょうが、そういう水俣病にかかった寝たきりの娘さんを抱えたがために、人間としての、いのちの大切さとか、いたわりあう心とか、助け合うことの大切さとか、いろいろな事柄を学ぶことができたのであり、この子は仏様だと言って、その娘さんをみんなが大切にした。その20年間の障害を価値がないと誰がいえますか。原田先生はそう言っていました。そういうことを考えてくださる医者がいるんだなあと思うと大変嬉しくなりました。
 からだが不自由であろうが、寝たきりであろうがいのちには全て平等の価値がある。平等の尊さがある。そのことによってみんなが生かされていくというか、そういう世界が、仏教が求めている理想的な社会のあり方の具体的なことではないかと思います。お互いに感謝しあい、お互いに喜び合い、お互いに尊びあいながら、20年間をすごしたという、そこに人間の理想世界というか、浄土といっても良いでしょう。そういうものが実現されていった。そういう仏教の世界においては都合の悪いものは排除するというのはとんでもないのであってそこに光輝く世界が開かれてくる、それを理想の世界としていく。そういうことを仏法が求めているのであって、決して今の世界を覆っている合理主義的な価値あるものと価値なきものを分けていくような考えかたは、基本的には人間自身を不幸にしていくのであり、排除したものは、いつかは必ず排除されるものとなっていく。いつかは差別されるものとなっていくという運命をたどっていくのです。そういうことにたいして、仏教はもっと批判的にキチッと自らの立場を明らかにしていかなければならないかと思います。
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以上、『寺をひらく』からの抜粋でした。著者の小川さんは仏教の立場から書かれていますが、私はこれを読んで山元加津子さんのご著書のないようや映画『1/4の奇跡』の映画を思い出すのでした。
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プロフィール

お多福ちゃん

Author:お多福ちゃん
ゆかり マッカーシー 2006年
結婚を機にアメリカ カリフォルニア バークレーに住む。 山元加津子さんの「白雪姫プロジェクト」に賛同し応援するために苦手なPCと向き合いブログを始める。下の「白雪姫プロジェクト」をクリックしてください!

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